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下粟代の花 神入り 棚飾り 天の祭り 切目の王子
Mon.27.01.2014 Posted in 愛知県
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小休憩を挟んで、午後4時前になると、花太夫、宮人は神部屋(かんべや)に集まる。

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(下粟代の花「神入り」)

 「神入り」という、神々を請じさせる神事である。まず神部屋の床の間にある神棚で、塩清めの後、護身法、九字、五大尊の印を結ぶ。禊の祓、大祓の祝詞を唱え、次いで「謹上再拝再拝と拝み開き殿附かのおんところに勧請申す也・・・」と「殿附」(とのづけ)の祭文を唱える。そして花太夫が大御幣を、宮人が幣束や舞道具を持って行列を組むと、二拍子の楽が入り、神座に進み、「いりませやいかなるかみがいりそめていりそめていりてののちはふくやたもたな」と唱えながら囲炉裏の周囲を三度周り、天へ向かう。

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(下粟代の花「天の祭り」)

  神座の隣、会所に天があり、「天の祭り」を行う。まず、棚に幣束、御札、舞道具等を並べ、花株が幣束に供物を並べる棚飾りが行われる。次いで「天の祭り」である。花太夫を前に宮人が後ろに座る。花太夫の前には、燈明が置かれる。塩清め、護身法、九字、五大尊の印が結ばれ、禊祓、大祓の祝詞を唱えて、大道神祇を唱える。次いで荒神六印の法を用いる。次いで立ち上がり、護身法、九字、五大尊の印が結ばれ、五方固めを行った後、神返しを行う。

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(下粟代の花 支度部屋で部屋番が面を清めて並べる)

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(下粟代の花 支度部屋)

  「天の祭り」が始まると同時に、神部屋には、面、装束、舞道具等が持ち込まれ、これからは支度部屋となる。支度部屋では、部屋番が、面を酒で清めて並べる。三遠南信各地のおまつりで残る「面さいずり」に相当するものであろう。

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(下粟代の花「切目の王神」)

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(下粟代の花「切目の王神」)

  そして神座で、「切目(きるめ)の王神」が行われる。花太夫が、太鼓弊(切目王神幣)が置かれた太鼓に座して、その前に宮人が円形になって座す。護身法、九字、五大尊の印を組み、花太夫は太鼓を叩き、囃子方が笛を吹き、楽に合わせて神拾いを行う。神拾いは神入りと同じで、「おみきあげ」の行事がある。「おみきあげ」では「おりいで花の 切目の王神 ごすごりょう まいらするには みいぐちなる おみきこしめせ 玉の明神」とうたぐらを歌う。神拾いは村の鎮守まで丁寧に迎えられる。

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(下粟代の花 村人の夕食)

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(下粟代の花 村人の夕食)

  神事の間、せんじでは、せんじ番が、夕食の支度に取り掛かる。「切目の王神」が終わった午後6時、ここで休憩になり、村人は、接待部屋で夕食となる。御膳とお酒が並べられ、花太夫を中心に円座する。せんじ番、花株、花太夫の挨拶があって乾杯となり、食事が始まる。支度から神事まで、息つく暇もなかった村人には、ほっとする瞬間である。あちこちで笑いが起きる。



※参考文献 東栄町誌 伝統芸能編
※この度の写真撮影、掲載に当たり、花太夫一野瀬三紀男様はじめ宮人さま達、下粟代花祭保存会長金田新也様はじめ花株様、下粟代集落の皆様の特別なご許可、ご理解及びご協力を得て撮影、掲載いたしました。この場を借りて、篤く御礼申し上げます。
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横山八幡宮 例大祭 湯立託宣 陸中沿岸の神子舞
Mon.11.11.2013 Posted in 岩手県
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  平成25年9月16日(月)、岩手県宮古市横山八幡宮例大祭の湯立託宣行事、陸中沿岸の神子舞を探訪した。

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(陸中沿岸の神子 地域では「イダッコさん」と呼ばれる)

  宮古市周辺を中心とする陸中沿岸では、近世から今日にかけて、神子(陸中沿岸では「イダッコさん」と呼ばれている)が宗教儀礼活動を行ってきた。法印や神楽衆と共に湯立託宣を行ったり、神子本人が、ねまり託宣、春祈祷、オシラサマ遊び、治療などの儀礼活動を行い、女性を中心とした地域生活において欠かせないものであった。
  かつて陸中沿岸では、多くの神子が活動していた。しかし、近年は高齢化と後継者難により存続が危ぶまれていたが、扇田フミ神子のもとで4年間修行を行った若い神子が平成21年に独り立ちし、現在に至る。

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(陸中沿岸の神子 「オダイジ」を身に付ける)

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(陸中沿岸の神子 「千早」姿)

  神子は、儀礼活動においては、オダイジを身に付ける。オダイジとは、儀礼の祈りに常に身に付けているもので、修行が終わって一人前になる際に師匠から渡されるものであり、神子のアイデンティティの証しである。人々はこのオダイジに神様が降りてくると神子から聞かされているといい、そう信じられている。そして手には、穴開き銭や獣の角が付いた黒く大きい粒の数珠をとる。神子は儀礼の際には、白の着物を身に付け、緋色の袴を穿き、その上に、絹の緑色地に鳳凰を染めぬいた千早と呼ばれる上衣を着る。

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(黒森神楽「岩戸開き 新開き」昔の、陸中沿岸の神子の姿)

  しかし、近世の神子は、異なっていた。その神子の姿を残しているのは、黒森神楽の演目の中にある「岩戸開き」で、「新開き」と呼ばれているものである。「新開き」の中で、天鈿女命によって舞われているものが、祭礼の湯立託宣の後で行われる神子舞の姿を取り入れたものである。この舞における天鈿女命は、おかめ面をつけて、女物の着物を着て、その上から千早をつけ、両手に笹を持って舞うのである。これこそかつての神子の古風な姿なのである。
  例大祭当日は、台風が東北地方に接近しており、強い雨が降っていた。拝殿に向かうと、既に宮司、禰宜、神子、神楽衆、そして氏子総代や少なかったが地域女性数名が参集していた。

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DSC_yokoyamayutatemikotakusen0015 posted by (C)dankichi0423
(横山八幡宮例大祭「権現舞」)

  まず例大祭が執行された。玉串奉献など神事が行われ、次いで神楽衆により、横山八幡宮の権現様を舞わせる「権現舞」が舞われた。舞式通りに権現様が舞わされ、八幡宮の神様が降ろされた。拝礼の後、例大祭は滞りなく終了した。

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(横山八幡宮例大祭 神楽衆による湯立の準備 釜の四方に湯立釜廻り幣が立てられ、注連を張る)

  すると拝殿中央に囲炉裏と釜が据えられ、湯を沸かす。神楽衆により釜の四方に湯立釜廻り幣が立てられ、周囲に注連を張る。釜の脇には剣者幣と水神幣を立てる。
  次いで湯立託宣が始まる。烏帽子に青い狩衣と袴姿の法印(宮司が行う)と、白い着物に緋色の袴を穿き、鳳凰を染めぬいた千早を着た神子が釜の前に並んで座り、後方には、胴取を中心に左右に鉦、笛を奏する神楽衆が控える。

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DSC_yokoyamayutatemikotakusen0038 posted by (C)dankichi0423
(横山八幡宮例大祭 湯立託宣 「祓い詞」「大祓い詞」)

  まず法印が「祓い詞」「大祓い詞」を唱え、神子は数珠をもんで、「大祓い詞」の時は唱和する。神楽衆は「打ち鳴らし」の楽を奏し、「座揃いの歌」が唄われる。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣 法印は剣者幣を手に取って釜の前に立ち、「湯立のシキジョウ」をかける)

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣 法印は剣者幣の柄の方で湯釜の注連を切る)

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣 法印は笹で釜の湯を周囲に振りかける)

  そして湯立である。法印、神子は釜に向かって塩をまく。胴取が小刻みに太鼓を打ち、法印は「湯立祝詞」を唱える。神子はこの間数珠をもんでいる。法印は剣者幣を手に取って釜の前に立ち、「湯立のシキジョウ」をかける。法印が上の句をかけると、胴取り以下神楽衆が下の句を唱和する。「注連切るに・・・」のシキジョウをかけた時に、法印は、剣者幣の柄の方で湯釜の注連を切り、釜の湯をかきまわしながら「大道神祇の文」を唱える。法印は二束の笹を取り、釜の中の湯に浸して周囲に振りかける。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 神子は印契を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えて、刀印を結んで縦横に九字を切って、法印より笹を受け取る)

  そして神子による託宣である。湯立の終った法印と神子は、釜の前で向かい合う。神子は印契を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えて、刀印を結んで縦横に九字を切って、法印より笹を受け取る。この間に「神おろしの神歌」を唄われる。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 神子は両手に笹を持って立ち上がり、両手の笹を大きく開き、また閉じながら四方を拝し、舞となる)

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 神子は両手に笹を持って立ち上がり、両手の笹を大きく開き、順の方向にゆっくり廻り、左右の笹を足の運びに合わせるように振りながら廻る)

  神子は両手に笹を持って立ち上がり、両手の笹を大きく開き、また閉じながら四方を拝し、舞となる。順の方向にゆっくり廻り、左右の笹を足の運びに合わせるように振りながら廻る。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「タカ神のシキジョウ」)

  神子は胴取の前に来ると、「ハイレーナー、シキなれば・・・」と、「タカ神のシキジョウ」をかける。胴取はシキジョウに応える。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「タカ神の託宣」)

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「タカ神の託宣」を聞き入る女性達)

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「タカ神の託宣」を熱心に書き取る女性)

  「タカ神のシキジョウ」が終わると、神子は笹を前方顔の前に持ち、右足を一歩前に出して胴取の方を向き、「タカ神の託宣」がある。「タカ神」とは、天照大神をさす。神子の「託宣」に対して、胴取は「エーヘド」という聞きあわせ役となる。神子は「オーンナカナカ・・・」と託宣を述べ始めると、女性たちは固唾を飲んで、聞き漏らすまいと聞き取る。ある女性は、聞き取った託宣を熱心に書き取られていた。
  「タカ神の託宣」が終わると、神歌が入って、続いて神子と胴取による「トコロ神のシキジョウ」がかけられる。
  「トコロ神のシキジョウ」が終わると、「トコロ神の託宣」がかけられる。「トコロ神」は横山八幡宮の祭神による託宣である。神子の「託宣」に対して、胴取は「エーヘド」という聞きあわせ役となる。神子は「オーンナカナカ・・・」と託宣を述べ始めると、女性たちは再び固唾を飲んで、聞き漏らすまいと聞き取る。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「笹の舞」)

  「トコロ神の託宣」が終わると、神子と胴取により「神送りの歌」が唱えられ、神子は、笹を手に持って「笹の舞」を舞う。 

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「水神の舞」)

  次は「水神の舞」で、笹の枝に四垂をつけた水神幣を右手に持ち、「水神舞のシキジョウ」をかけながら舞う。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「扇の舞」)

  次は「扇の舞」である。扇田フミ神子の母の代に、神楽衆より習得された舞である。扇田家系統のみの舞である。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「九字の手」)

  次は「わが法」、「九字の手」。「九字の手」では、刀印を胴取に向かって投げつけるように振りおろし、胴取はこれを撥で受ける。

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(横山八幡宮例大祭 湯立託宣・神子舞 「獅子や牡丹」)

    次は「獅子や牡丹」である。神子は着ていた千早を脱いで、三足を踏んでから、千早を捧げるように舞い廻る。この千早をまるめて持った形が権現獅子舞に似ていることから、この舞を「権現の手」という。
  最後は「舞いくだり」で舞い納めとなる。この時神楽衆は「打ち鳴らし」として神送りの歌が唄われる。

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(横山八幡宮例大祭 氏子参詣者に頒布される日見(地元ではヒイミ)と呼ばれる 各自持ち帰り家々で守られる)

  神子による託宣は、神職により記録され、横山八幡宮より頒布される。
  神子による湯立託宣は、集落全体の出来事から、天候、漁や農作の出来、個人の出来事まで、託宣される。これらの託宣は、女性が聞き取り、家々で信じられてきた。時代が変わっても、女性を中心と信仰は何とか守られている事は大変すばらしいことだと感じた。



※参考文献 「神子と修験の宗教民俗学的研究」 神田より子 著 岩田書院
※この度の写真撮影、掲載に当たり、横山八幡宮の特別な許可を得て掲載いたしました。また、横山八幡宮宮司花坂直行様には、大変お世話になりました。この場を借りて篤く御礼申し上げます。



  

  
横山八幡宮 宵宮祭 黒森神楽 奉納
Thu.26.09.2013 Posted in 岩手県
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  平成25年9月14日(土)日が沈んだ頃、横山八幡宮宵宮祭で奉納される、黒森神楽の探訪を行った。
  黒森神楽は、岩手県宮古市山口の黒森山中腹にある黒森神社(古くは黒森大権現社と呼ばれる神仏習合の霊山であった。)に依拠する神楽である。
  黒森神楽は、正月になると黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)を携えて、黒森神社から「舞立ち」を行い、陸中地方沿岸の集落を廻り、家々の庭先で権現舞を舞って悪魔祓いや火伏祈祷を行う。夜は宿と呼ばれる、地域の有力者の屋敷で神楽幕を張り、夜神楽を演じて、五穀豊穣・大漁成就・商売繁盛などの祈願舞によって人々を楽しませて祝福をもたらしているのである。
  この巡行は、旧盛岡藩の沿岸部を、北は宮古市山口から久慈市までの「北廻り」と釜石市までの「南廻り」を隔年で廻村し、近世からその範囲は変わっていない。現代に至るまで、これだけ長期で広範囲に巡行を行う神楽は全国的にも珍しい、貴重な生きた信仰の拠り所である。
  黒森神楽は、初めに書いたように、宮古市黒森の黒森神社の権現様を奉じた神楽であるが、それを担う神楽衆は、宮古市、宮古市田老、岩泉町、大槌町などそれぞれの地域で芸能を担う者が、胴取によって選抜された、精鋭たちである。

  黒森神楽南廻り巡行宿 釜石根浜宝来館

  3月に神上げを行った黒森神楽は、その後、7月の黒森神社例大祭をはじめ、各地の神社例大祭にて神楽を奉納されるのである。
  横山八幡宮は、岩手県宮古市鎮座し、白鳳9年(680年)創建と伝えられる。また「宮古」の地名の由来としても知られる、歴史あり、多くの市民の尊崇を集めるお社である。当社の例大祭は、9月14日 宵宮祭 9月15日 神幸祭(並びに海上渡御祭) 9月16日 例大祭(並びに湯立神事、神子托宣)と、江戸時代より今日まで定められ執行されている。
  9月14日の宵宮祭において、黒森神楽が、四番から五番奉納される。
  また、今回はその機会を得なかったが、海上渡御祭において、船上にて漁業者の信仰の篤い恵比寿舞が奉納される。御祭神が神幸され、海上渡御を行い、恵比寿舞が奉納される=彼方より神様がやって来られるという意味づけである。陸中沿岸では、海上渡御を行うおまつりが多い。漁業者の切実な願いの現れであろうか。
  宵宮祭の日の参道及び境内には、多くの灯提灯が灯され、大変美しい。灯提灯の美しい石段を登り参拝を行い、社務所の向かいにある、神楽が奉納される参集殿へと向かった。すると、神楽衆が集まりだし、ご挨拶に伺ったら、「一緒に飯を喰おう!」と、特別にご一緒させて頂いた。皆様とは2月の南廻り以来だが、覚えて下さっていた。食事の時印象的だったのは、或る若い神楽衆が、食後に自分の御膳を全て、台所へと持って行かれたのである。食事に感謝をされる姿勢と、日々の生活から神楽人として生きておられる姿勢に感銘を受けた。

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(横山八幡宮宵宮祭 神楽衆が幣を切る)

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DSC_yokoyamayoi0003 posted by (C)dankichi0423
(横山八幡宮宵宮祭 拝殿での神事)

  食事を終えると、いよいよ神楽の用意にかかる。「奉納横山八幡宮」と書かれた、宝船と恵比寿大黒の描かれた吉兆の神楽幕を掛ける。そして御幣、山の海幣など神楽の祭具を準備し、神楽の準備が整ったところで、神楽衆が寄せ太鼓で、石段を登り、拝殿へと向かう。拝殿では宵宮祭の神事が行われる。
  宵宮祭では「榊葉」「松迎」「山の神舞」「恵比寿舞」の役舞四番が舞われた。

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(黒森神楽 「榊葉」)

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(黒森神楽 「榊葉」)

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(黒森神楽 「榊葉」)

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(黒森神楽 「榊葉」)

  「榊葉」は、激しい跳躍と回転により、この地に祝福を祝いこめる舞である。また、黒森神楽の基本の舞とされ、若手の登竜門である。この日は、この夏から舞い始めたという高校生が舞っていたが、大変美しく素晴らしい舞であった。

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(黒森神楽 「松迎」)

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(黒森神楽 「松迎」)

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(黒森神楽 「松迎」)

  「松迎」は、千秋・万歳の兄弟が門松を立てて新年を寿ぎ、天下泰平を祈願する二人舞である。この日は、神楽衆での中堅の師匠と若い弟子の舞上手による、二人の呼吸が合った大変美しい舞であった。

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(黒森神楽 「山の神舞」)

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(黒森神楽 「山の神舞」)

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(黒森神楽 「山の神舞」)

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(黒森神楽 「山の神舞」)

  「山の神舞」は、山仕事や農耕を守護するだけでなく漁業者からも篤く信仰される、黒森神楽でも重要な舞である。山の神は、「十二人の子を持つ」と山の神の本地が神歌に歌われ、黒森神楽では「女神」とされる。その赤くて食いしばった面の形相は、お産でいきんだ様子であるとされ、女性からのお産の信仰も篤い。この日は中堅の舞上手の神楽衆が、躍動感あふれる舞を見せて下さった。
  「山の神舞」が終わると、中入りとなり、花ぶれが行われる。この日も、市内外、多くの観客が黒森神楽を見物しに集まられていた。

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(黒森神楽 「恵比寿舞」)

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(黒森神楽 「恵比寿舞」)

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(黒森神楽 「恵比寿舞」)

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(黒森神楽 「恵比寿舞」)

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DSC_yokoyamayoi0168 posted by (C)dankichi0423 (黒森神楽 「恵比寿舞」)

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(黒森神楽 「恵比寿舞」)

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DSC_yokoyamayoi0174 posted by (C)dankichi0423
(黒森神楽 「恵比寿舞」)

  最後は、「恵比寿舞」。釣竿を持った恵比寿様が釣り糸を手繰り餌をつけ、赤い鯛を釣り上げる。鯛に止めを刺すなど、その技巧の数々に観客を笑わせて下さる。大漁祈願と海上安全の舞とされ、陸中沿岸では欠かすことのできない舞である。ベテランの神楽衆が、軽妙な舞振りで私達を笑わせ楽しませて下さった。
  最後幕が上がったのは、夜も遅い時間であったが、時を忘れさせてくれた。
  例大祭での神楽奉納は、初めてであったが、役舞を中心に舞われることから、娯楽もさることながら、信仰への要求に応えているのだろう。そう感じた。改めて、黒森神楽への地域住民の信仰の深さを感じることができ、八幡宮を後にした。



※この度の写真撮影、掲載に当たり、横山八幡宮、黒森神楽保存会の許可を得て掲載いたしました。また、横山八幡宮宮司花坂直行様、黒森神楽保存会神楽衆代表松本文雄様はじめ神楽衆ご一同様には、大変お世話になりました。この場を借りて篤く御礼申し上げます。

  
藤原祭り 二子流東京鬼剣舞奉納
Sun.18.08.2013 Posted in 千葉県
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DSC_hujiwaraonikenbai0075 posted by (C)dankichi0423
(二子流東京鬼剣舞 三人加護)
  
  平成25年8月17日(土)夕方、千葉県船橋市藤原で行われた藤原祭りで、二子流東京鬼剣舞の奉納を探訪した。

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(藤原祭り 大変素朴なおまつりの場)

  藤原地区は、丘陵地が宅地化された地区であるが、周辺には森林や畑、梨の果樹園が残る、古の農村を思い起こさせられる土地である。藤原祭りは、地区の住民により盆踊りの屋台が組まれ、模擬店や露店が準備された、少し遅いが盆送りと納涼祭りなのだろう素朴さを感じさせられた。
  さて鬼剣舞は皆様ご存じであろうが、概略を説明したい。鬼剣舞とは岩手県北上市周辺で伝承されている郷土芸能である。「念仏剣舞」に分類されるが、異形の鬼の面(仏の化身)を被ることから、「鬼剣舞」と言われるようになったとされる。鬼剣舞には「反閇(へんばい)」により大地を踏み鎮め悪霊を払う鎮魂の呪術的な要素と、念仏を唱えて衆生を救うという信仰的要素がある。鬼剣舞は、庭元(座元)一人、囃子方(太鼓一人、笛二人から四人、手平鉦一人から二人)舞手(八人編成が基本)で構成される。舞手が被る面は五色、異形の鬼の面だが仏の化身である。従って面に角はない。陰陽五行説に基づく四季、方位を示し、それぞれに五大明王が表されている。一人が白面、ほかの七人は青・赤・黒の「阿(あ)口が開いている」と「吽(うん)口が閉じている」の面をそれぞれ被る。白面が踊りの中心である。
  二子流東京鬼剣舞は、二子鬼剣舞の弟子にあたる。東京鬼剣舞の代表である小川修自氏が四十年以上地元の方々と関わり、修行を積み、平成二年(1990)に地元の二子鬼剣舞の庭元より、二子流東京鬼剣舞の名乗りを許された。以来地元の「みちのく芸能まつり」にも毎年参加、定期的に稽古をしておられる。
  日差しがあるも、風もあり少し涼しい夕方五時、櫓に囃し方が上がり、櫓前で踊りが披露された。
  演目は以下の通りであった。
  (1)宙返り (2)刀剣舞の狂い (3)八人加護 (4)三人加護

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(二子流東京鬼剣舞 宙返り)

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(二子流東京鬼剣舞 宙返り)

  (1)宙返り 曲芸を思わせる踊りで、一本から八本までの太刀をかざし大きく回転する、余興的な演目である。基本的には刀を採り、宙返りをするのである。それを最後は八本で行うので、修験道の超人的な力を感じた。

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(二子流東京鬼剣舞 刀剣舞の狂い)

  (2)刀剣舞の狂い 刀剣舞の風格の裏に躍動的に要所を締め、太刀を合わせ激しく交差し打ち合う。また背に相対する動作など武技を競う連相があり、武者を彷彿させる。狂い踊りは全て振り込み念仏の略された形となり、踊りも八人の制約から解かれる。刀を採り、相対して勇壮かつ躍動的に舞われ、目を奪われた。 

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(二子流東京鬼剣舞 八人加護)

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(二子流東京鬼剣舞 八人加護)

  (3)八人加護 一番庭が正式な儀礼舞であるが、この八人加護は踊りも曲も変化に富み、八人が刀を持ち、輪になり刀をかいくぐり勇壮に踊る。八人加護も躍動的であるが、輪になり刀潜りするところは修験道の趣を感じた。

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(二子流東京鬼剣舞 三人加護)

  (4)三人加護 はじめ扇の舞は赤面、青面二人で踊り、拍子は一人加護と同じ。白面が加わって幣舞に入って三人となり、二人は太刀、一人は幣を振りかざし、拍子は神楽拍子に変わる。悪魔退散・五穀豊穣の祈祷舞でもある。白面が幣を振りかざし、最後正面に放り投げた時、綺麗に弊は落ちた。大変美しい瞬間だった。

  みちのくの厳しい風土の中、生死を現実的に感じた時代、悪霊退散、鎮魂ということは、民にとって渇望するものであったろう。そのような中で生まれた鬼剣舞はその鬼たちが「ウォー」と唸りながら舞う。つい先日送り盆の際に、鬼剣舞による盆供養が行われた。それは畏怖する存在ともいえようが、祈りの存在であったのだろう。鬼剣舞ほど人々の心をつかむ芸能はないだろう。どうかこれからも各地で伝え続けてほしい、そう願って会場を後にした。



※この度の掲載に当たり、二子流東京鬼剣舞代表の小川修自氏には、格別のご配慮を賜りました。この場を借りて篤く御礼申し上げます。
王子神社例大祭 槍祭 王子田楽奉納
Sun.11.08.2013 Posted in 東京都
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  平成25年8月4日(日)東京都北区王子に鎮座まします王子神社の例大祭 槍祭 で奉納される王子田楽を探訪した。

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(王子神社)

  王子神社は、創建年代は不詳だが、元亨2年(1322年)当地の領主豊島氏により、紀州熊野新宮の「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎され、王子神社となったとされている。その後は「王子権現」と呼ばれ、江戸時代には、徳川将軍家の信仰も篤く、明治時代に東京となってからも多くの庶民の信仰を集めてきた。しかし昭和20年(1945年)の東京大空襲により社殿は焼失、戦後、社殿は再建され今日に至る。
  例大祭は、元来旧暦7月13日に斎行されてきたが、今日は8月第1週の日曜日に斎行されている。例大祭の槍祭と呼ばれる由来は、「御槍」という、槍の形をした古伝の御守が授けられることに因む。
  田楽とは「田楽躍」に分類され、大陸より散楽などと共に渡来し、平安期に入って、寺社において田楽師や田楽法師により盛んに行われ、その後猿楽や能楽に発展していき、田楽は衰徴して、民俗芸能として残るに至った。田楽は、稲作において、五穀豊穣を祈り、田植えの際に田楽衆により舞われた、農耕儀礼としての芸能なのである。
  さてこの王子田楽は、元亨2年(1322年)豊島氏により紀州熊野新宮の「若一王子宮」が勧請されたときに伝えられたとされるが、詳しいことははっきりしない。文献上では江戸時代に現れ、当時は王子権現別当寺金輪寺一山の人々により舞われていた「魔除け、魔帰しの田楽」である。
  その演者と演目は、まず演者は、楽人(笛、大太鼓、)、太鼓2人、筰4人、子魔帰(小鼓)2人。演目は、一番 中門口 二番 道行腰筰 三番 行違腰筰 四番 背摺腰筰 五番 中居腰筰 六番 三拍子腰筰 七番 黙礼腰筰 八番 捻三度 九番 中立腰筰 十番 搗筰腰筰 十一番 筰流 十二番 子魔帰 である。また田楽に先立ち、田楽行列 露払い 槍合わせ 七度半 の儀礼があり、また警護の露払いの武者、四魔帰の武者がいる。
  岩手県毛越寺延年の田楽、和歌山県那智田楽等と共に中世の芸態をを残していること、七度半や中門口という中世の儀礼形式を有していることから、王子田楽は大変貴重な芸能であるとされている。
  王子田楽は、中世、はっきりと遡っても江戸時代から連綿と受け継がれてきたが、太平洋戦争の激化により昭和18年(1943年)に中断し、昭和20年(1945年)の東京大空襲により道具衣装の一切を焼失し、長く中断を余儀なくされてきたが、地元有志により昭和58年(1983年)に復活して現在に至る。今年で30周年ということだ。

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(王子田楽 舞台)

  地下鉄王子駅から川沿いを歩くと、右手に鬱蒼とした樹叢が見えてくる。王子神社だ。鳥居をくぐると参道が続き、拝殿に至る。その拝殿との間に田楽の舞台が設営されている。戦前までは、境内に舞殿があったが、空襲により焼失したため、現在の形式を取られている。

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(王子田楽 修祓)

  「田楽行列」午後4時30分、定刻になり、宮司、禰宜、田楽衆の行列が旧金輪寺跡から出立し、神社鳥居をくぐり参道に入った。ここで、禰宜による修祓の儀が行われ、行列は中門口の行われる参道まで入ってきた。

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(王子田楽 露払い)

  「露払い」青竹を持った露払いの武者が舞台に上がり、「うぉー」と声を上げて青竹で舞台を祓い清めた。

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(王子田楽 槍合わせ)

  「槍合わせ」年番町会の総代が田楽舞奉納の無事を祈り、舞台で三度槍を合わせる。

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(王子田楽 七度半)

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(王子田楽 四魔帰の武者)

  「七度半」田楽お迎えの使者が傘持ちの子供達に「まだまだ」と追い返される。子供達の健気さと懸命さに、観衆は「あらあ、可愛いねえ」と歓声を上げた。七度半で「いいよ」となり、四魔帰の武者に警護された楽人は舞台に、田楽衆が中門口に入る。

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(王子田楽 中門口)

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(王子田楽)

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(王子田楽)

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(王子田楽)

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(王子田楽)

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(王子田楽)

  田楽は十二番あるが、慣例により六番舞われる。この日は、一番 中門口 (ここで舞台に上がる) 二番 道行腰筰 五番 中居腰筰 六番 三拍子腰筰 十一番 筰流 十二番 子魔帰 の六番が舞われた。田楽衆は皆小学生である。花笠の中に幼げな顔立ちが見えたが、しかし、整然と、しっかりと反閇を踏み、美しい田楽舞を舞っていた。境内は古の中世の趣に立ち返り、観客は酔いしれていた。六番の舞が終わると田楽衆には惜しみない拍手が送られていた。

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(福まき 槍の護符とお餅)

  昔は、舞が終わると、観客が争って、田楽衆の花笠を奪い合い、別名「けんか祭り」と言われたという。(岐阜県長滝の延年、宮城県小迫の延年、山形県吹浦の延年など各地の田楽舞にもは「花奪い」という風習が残っている。)現在は福まきといい、槍の護符や餅や景品などがまかれて、舞台周りは喧噪の渦となる。私も槍の護符とお餅という福を授かった。
  東京という大都市の中で、しかも中断していた田楽を復興させた皆様のご努力は並大抵のものではなかったと思う。中世の貴重な田楽を末永く後世に伝承して頂きたいと願い、境内を後にした。



※参考文献 「田楽展 王子田楽の世界」 北区飛鳥山博物館
         「王子田楽舞 式次第」 王子神社

※この度の撮影、掲載に当たり、王子神社様、王子田楽衆高木基雄様には格別のご配慮を賜りました。この場を借りまして、篤く御礼申し上げます。

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