スポンサーサイト
--.--.--.-- Posted in スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
突っ走りすぎて小休止
Thu.18.07.2013 Posted in 雑感
1 comments 0 trackbacks
  このブログを始めて、二年経った。ブログを始める以前から、精力的に歩き回った。特に東日本大震災以降は、東北を中心に精力的に歩き回った。今年も年明けから第一四半期までは、愛知県奥三河から岩手県釜石市までとまさに東奔西走の様であった。しかし、三年前にある病に倒れ、復職後も、昨年春に再度倒れ、この五月に三度倒れて、現在会社を休んでいる状況である。主治医からは、今年年内いっぱい、各地の探訪を辞めることを宣告され、受け入れた。
  従って、病気療養のため、年内いっぱいの郷土芸能取材活動その他一切を、お休み致します。関係各位にはご迷惑をおかけ致しますが、何卒宜しくお願い致します。
  
  そして年明けには、再び元気な心体で、おまつり探訪したいと思います。

 ishihatookanagoshi0030
ishihatookanagoshi0030 posted by (C)dankichi0423
(早池峰嶽流石鳩岡神楽 祈祷権現舞 権現様に病災を噛んでお祓いいただきたいが叶わず・・・)
スポンサーサイト
菊池修三師匠の思い出
Wed.21.11.2012 Posted in 雑感
0 comments 0 trackbacks
  菊池修三師匠。岩手県花巻市東和町石鳩岡に依拠する、早池峰嶽流石鳩岡神楽の師匠である。修三師匠との初めての出会いは、1年前の平成23年秋9月、小通(こがよう)稲荷神社例大祭奉納の時であった。まだ神楽座中とは全くの初対面、緊張の面持ちで過ごしていた。

  その時神楽舞台で、その後舞われる翁舞の支度を終えた老翁が泰然と坐していた。直面の老翁は、容姿風格が翁そのものであった。心打たれた私は、勇気を振り絞って「お写真撮らせて頂いても良いですか?」と尋ねた。「うむ。」と老翁は言葉少なであるが、許して下さった。その老翁こそが、修三師匠であった。この時の修三師匠の風格には、本当に圧倒された。今でも忘れられない一枚である。

DSC_8394
DSC_8394 posted by (C)dankichi0423
(神楽舞台で支度を終えて泰然と坐する「翁」修三師匠)

DSC_8501
DSC_8501 posted by (C)dankichi0423
(修三師匠の「翁舞」美しい舞)

  その後の修三師匠の翁舞は年齢に相応した、良い意味での「枯れた」翁の姿そのもので、ゆったりとした美しい舞であった。修三師匠が舞われたのは、この時が最後であり、貴重な一枚であった。

  翌日の駒形神社例大祭のお通り。分乗した車には、修三師匠が乗っていらっしゃった。しかし、寡黙でお話されても方言でコミュニケーションがとれない修三師匠とは全くお話ができず、もどかしかった。そして、あるお宅に到着した。そこは、修三師匠の恩師のお宅で、恩師はご健在であった。恩師を見かけた修三師匠は、さっと車を降りられ、恩師の下へ行き、旧交を温められていた。寡黙で普段言葉少なな修三師匠の、意外な姿であった。

  平成24年2月の初午の門打ち。家々を廻り、最後新宅祝の、神楽衆の真也さん宅で、祈祷権現舞を舞わせたとき、修三師匠が胴を取られた。修三師匠の撥さばきは、若い人に負けない、力強く大変素晴らしかった。

  菊池修三師匠は、昭和3年(1928年)石鳩岡生まれ。太平洋戦争の最中、衰徴しかけていた早池峰嶽流石鳩岡神楽を、胴取りの名手で、師匠神楽の岳神楽の小國誠吉師匠(故人)から認められていた一ノ倉保師匠(現在は引退)、菊池恭三師匠(故人)、弟の千葉志郎師匠と共に盛り立てられた。師匠達の世代は大変厳しく、次の世代達に稽古をつけてこられた。こうして、現在の早池峰嶽流石鳩岡神楽を伝承されてこられたのである。

  ・・・早池峰嶽流石鳩岡神楽を現在まで守り伝えてこられた菊池修三師匠。先日11月17日、永遠の眠りにつかれました。84歳でした・・・まだまだ私達に多くのことを伝えて頂きたかった。本当に悲しく、残念でなりません。どうかこれからも、空の彼方から、私達を見守り続けてください。ご冥福をお祈り申し上げます。  
歩いて歩いて歩き続けて
Mon.16.07.2012 Posted in 雑感
0 comments 0 trackbacks
 拙ブログが、明日で丁度一年となる。始まりは学生時代、考古学ゼミで燻っていた私に、師匠である指導教官が、「京都には色々いいものがあるのだから、たくさん見なさい。座って本を読むより、「歩いて「見る」「知る」こと」が大事なんだよ」と諭され、壬生狂言を見たことである。「カンデンデン」の無言の仮面劇は、京の雅、笑いと共に、人間の生きる様と、人間の信仰との繋がりを強く感じ、大変印象に残ったことを覚えている。
 以来、私は、北は陸奥、南は琉球まであらゆる芸能を探訪して、記録し続けてきた。そしてその中で、私達日本人は、その生きる場所=「ムラ」において、それぞれ生業があり生活を行い、そして人々は生活において、豊かな恵みや過酷な災害を同時にもたらす自然との付き合い方を長年にわたって培い、その付き合い方の中に、自然への畏怖と感謝を祈願する「信仰」があり、そして信仰に深く根ざした「おまつり」がある事を知った。そして「自然」「生活」「信仰」「おまつり」がバランスよくある限り、ムラは生きていると事も知った。
 この一年で、全国各地における「おまつり」を一つでも多く紹介できるようにしてきた。しかし、一方で、過去のものは、再度、地元関係者に了解をとる必要があるため、中々十分に紹介し切れなかった。今後は地道に、少しずつでも紹介したい。
 また、十年余りの中で、多くの出来事に遭遇し、多くの影響を受け、また多くの出会いがあった。私は、今後、もっと「おまつり」の姿を深く掘り下げたい、その思いから、「テーマ」を絞ることとしたい。
 一つは北上川流域の、早池峰系山伏神楽、法印神楽、そして天竜川流域、の奥三河の花 である。
 今後も、とにかく、歩いて歩いて歩き続けて、日本人の深層にある美しい「姿」を少しでも、皆様に伝えることができたら幸いである。

【お願い】
 昨年の東日本大震災から1年と4カ月が過ぎました。その中で、地域と人々の絆、信仰を取り戻すため、「おまつり」を復興させようとする動きが各地で始まりました。地域の復興も、おまつりの復興も、まだ道半ばです。引き続き、皆様のご協力お願い致します。

ogatsusupport_ban01[1]
「雄勝法印神楽支援金窓口」

大室南部神楽保存会 支援金のお願い
大室南部神楽 復興支援金ご協力のお願い
Tue.29.05.2012 Posted in 雑感
0 comments 0 trackbacks
 宮城県石巻市北上町十三浜大室には、大室南部神楽が伝承されております。南部神楽は、明治期の廃仏毀釈で衰退した法印神楽を、地元の住民が習得し、式舞と言われるものに加えて、さらに地域の伝説などを演目としたものを増やし、現在に至ります。「セリフ神楽」と言われ、神題本(かんでほん)という台詞を舞い手が語る事が特徴的です。岩手県内陸南部から宮城県内陸北部に加え、旧本吉郡の十三浜にも伝承されております。
 大室南部神楽は、大正期に岩手県下大籠村(現一関市)より伝承を受けたとされており、演目は十数演目にわたります。
 さて、大室南部神楽は、昨年の東日本大震災により、大室地区と共に甚大な被害を受けられました。神楽面、衣装、道具、神題本・・・すべてを失いました。
 その中で、かつて小学生時代に舞っていた若い世代が中心となり、「大室の復興のために神楽を復興させよう」という強い想いから、面、神題本の調達、衣装生地の調達と、地元のお母様たちによる縫製・・・と、復興を始めました。
 しかし、ゼロからの出発、復興に当たっては、皆様からの支援が必要でございます。
 そしてこの度、保存会において復興支援金の開設が行われました。
 未曾有の大震災、地域の復興には地域の拠り所である神楽の復興が欠かせません。また、地域の繋がりをつなぐためにも、神楽の復興は欠かせません。
 大室南部神楽保存会では、皆様のお力を必要とされております。皆様のご支援、何卒宜しくお願い致します。

 大室南部神楽保存会 ホームページ

 大室南部神楽保存会 復興支援金協力のお願い
しんしんしん
Fri.23.03.2012 Posted in 雑感
0 comments 0 trackbacks
 しんしんしんと雪が降れば、山野は真白く雪が積もる。
 この雪は、雪が無くなっていたところに、一昼夜ですっかり積もったのだそうな。
 山野の雪は、朝日の光に照らされて、眩しい。

 DSC_kado0001
DSC_kado0001 posted by (C)dankichi0423

 (岩手県花巻市東和町石鳩岡集落)

NEXT PAGE »

topBack to TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。