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岸和田祭 地車(だんじり)曳行と特殊行事
Sat.22.09.2012 Posted in 大阪府
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DSC_kishiwada0036 posted by (C)dankichi0423
(岸和田城跡に建つ復興天守閣)

  平成24年9月15日(土)、16日(日)に、大阪府岸和田市 岸城(きしき)神社 岸和田天神宮 弥栄(やえ)神社各氏子によって催行された、岸和田祭を探訪した。
  岸和田は、筆者の出身地であり、絢爛豪華で精緻な彫り物を有するだんじり、美しい鳴り物、子供会から青年団、世話人、年番など、年齢別に統率された組織により自主運営される祭礼の姿、町が一つになって曳行して、角を曲がる「やりまわし」がうまくいった時の達成感は、素晴らしいものである。しかし一方で「だんじり」イコール「建物や電柱を破壊する危険なおまつり」などというイメージが先行し、他所の人間からそのイメージをたびたび聞かされ、苦笑している現実がある。また、近年祭礼が本来のおまつりとしての「神賑(かみにぎわい)神事」(神様と共に喜ぶ神事)が忘れられ、イベント化しつつあることも悲しい現実である。
  そこで、甚だ拙いが、だんじり曳行と、その中で行われている特殊行事を通じて、岸和田祭の「生きた姿」の一端をご覧いただけたらと思う。
  なお、筆者も参照しているが、より岸和田祭を詳しく知りたい方は、「泉州岸和田地車名所独案内」(古磨屋 2006)、「岸和田祭音百景平成地車見聞録」(森田玲著 民の謡 2007)を参照されたい。
  岸和田祭は、江戸期に岸和田城下の発達に伴い発展した都市祭礼である。岸和田城内にある岸城神社(牛頭天王社、八幡社、神明社)と岸和田天神宮の例祭式(9月15日)の神賑行事として、岸城神社氏子町、岸和田天神宮氏子町などが、だんじりを曳行する。江戸時代、例祭式の日には、各氏子がそれぞれの社に宮入するが、岸城神社氏子町は、藩主より特別に上覧を賜り、城内へ宮入を行った。当初は獅子舞や相撲などの神賑行事であったが、大坂の天神祭のだんじりや、江戸将軍家お膝元の神田祭、山王祭における山車の将軍上覧から影響を受け、現在のようなだんじりの宮入の姿になったと考えられる。しかし近年は、祝日法の改正により敬老の日の週の土日に改められて、15日の例祭式と切り離されている現状である。

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DSC_kishiwada0003 posted by (C)dankichi0423
(中之濱町(なかんば)だんじりのコマを交換している)

  だんじりは、二回の試験挽きと、宵宮と本宮の二日間、曳行される。宵宮前日の試験挽き終了後、各町は、提灯に灯入れして町に飾る。特に浜七町は「疎開道」と言われる直線道路に、交互にだんじりを並べるため、壮観である。祇園祭の宵山を想起させられる。その後提灯は片づけられ、だんじりは宵宮に備えて調整が行われ、深夜には片づけられる。お盆辺りから賑やかに鳴り物の稽古や、青年団の走り込みの声が聴こえていたのが嘘のように、町は静まり返る。

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DSC_kishiwada0008 posted by (C)dankichi0423
(曳き出し前 岸城神社に参拝する堺町(さかいまち)の大工方達)

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DSC_kishiwada0009 posted by (C)dankichi0423
(曳き出し前 小屋で待機する堺町(さかいまち)だんじり)

  宵宮の朝は早い。午前3時頃、岸城神社には青年団など各町各団体の者が、安全祈願の参拝にやって来る。だんじり小屋には灯りが灯り、静かに曳行の時を待つ。曳行コースとなる道路脇では、見物人が早くも場所取りをして、今か今かと待っている。
  朝6時前、曳き出しを目前に控え、昭和大通中央に控える北町(きたんまち)のだんじり前には世話人達が待ち構える。その中を町会館からだんじりまで各団体が手拍子を打って道行の道中歌を歌って練り歩くのだ。私はだんじりを曳いていた頃は、そのような行事を当然知らなかった。岸和田祭に残る特殊行事を見ておきたかったのだ。

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DSC_kishiwada0012 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち)五色の吹き流しの纏を先頭に、青年団がノーエ節を道中歌に練り歩く)

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DSC_kishiwada0013 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち)青年団がノーエ節を道中歌に練り歩く 心には気合が籠る)

  まずは青年団。五色の吹き流しの纏(まとい)を先頭に「・・・お客こまればノーエ お客こまればノーエお客サイサイこまれば石の地蔵さん 石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ  石のサイサイ地蔵さんは頭が丸い  頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ 頭サイサイ丸けりゃ烏がとまる 烏とまればノーエ 烏とまればノーエ  烏サイサイとまれば娘島田 娘島田はノーエ 娘島田はノーエ  娘サイサイ島田は情でとける!」とノーエ(農兵)節を歌ってだんじりへと向かってくる。

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DSC_kishiwada0020 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち)弐拾五人組による「北町版泉州伊勢音頭」音頭取りに生絹の法被の大工方が番傘を差して歩く姿が凛々しい)

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DSC_kishiwada0024 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) いざ曳き出し! 気合が漲る)

  続いて若頭、弐拾五人組は「北町版泉州伊勢音頭」。「・・・目出度い祭の 目出度い北町の真ん中で 鶴と亀とが舞いもうた・・・ソーリャヤートコセーノ ヨーイヤナ オリャアレハイセ!アコリャハイセ!オリヨーイヤーセー!」先頭の音頭取りに生絹の法被の大工方が番傘を差して歩く。音頭に合いの手、曳き手の心は嫌が応にも最高潮に昂ぶる。いつの間にか、暗かった空が明るく夜が明けた。曳行責任者の挨拶、万歳三唱の後、曳き綱がピンと張られて、「ええかぁ!いこかぁーい!」青年団長の合図に、「チンキチンチンキチン!トンコトントンコトントンコトン!」「ソ-リャア!ソ-リャア!ソ-リャア!・・・」いよいよ曳き出しの始まり、各町は堰を切ったかのように、だんじりを曳き回すのだ。
  曳き出しの後、午前曳行、岸和田駅前パレード、午後曳行と続き、灯入れ曳行で宵宮は締めくくられる。しかし、今年は夕方から激しい夕立に見舞われ、年番の判断により、灯入れ曳行が中止になった。筆者が知る限りでも、異例中の異例。しかし、家族連れの曳き手や観光客は、雨の止んだ夜店を楽しんでいた。

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DSC_kishiwada0032 posted by (C)dankichi0423
(宮三町(宮本町(みやもと)、上町(うえまち)、五軒屋町(ごけんや))が、潮かけ(だんじりを潮で清める)で集まる)

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DSC_kishiwada0034 posted by (C)dankichi0423
(宮入前の 宮三番 五軒屋町(ごけんや))

  16日朝、いよいよ宮入である。宮入前、浜手に宮三町(宮本町(みやもと)、上町(うえまち)、五軒屋町(ごけんや) 籤いらずの特権を持つ村方で、社に奉仕していた由来)が、潮かけ(だんじりを潮で清める)で集まる。各町が潮かけを行い、三町集まっての宴、万歳三唱が行われ、いよいよ宮入である。浜手から城の汐入門があった道を通り、こなから坂(北大手門跡)を駆けあがる。筆者も何度も駆け上がった記憶が蘇る。本当はこなから坂で見物したいが、既に祭礼前から「某町の〇×の場所」と場所取りされ、観ることはかなわない。私は岸城神社近くの天守閣が見える場所で、だんじりを待ち構えていた。

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DSC_kishiwada0063 posted by (C)dankichi0423
(宮入 中北町(なかぎた))

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DSC_kishiwada0087 posted by (C)dankichi0423
(宮入 大工町(だいこまち))

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DSC_kishiwada0089 posted by (C)dankichi0423
(宮入 本町(ほんまち) 着流しの大工方)

  宮入をするだんじりは、先述の宮三町に籤引きで順番を決める町一二町が、こなから坂を上がり、宮入を行う。こなから坂では一年分の力を使い果たす勇壮な「動」の世界、その後、城の廻りを曳いて宮入に向かう「静」の姿は、対照的である。宮入に向かう鳴り物をぜひ聞いていただきたい。大変美しい調である。宮入に向かう各町とも、「ほっ」とした安堵感の中で曳行している姿が印象的だった。だんじりを曳いていた頃の筆者もそうだっただろうか…

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DSC_kishiwada0091 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) やりまわし)

  午後曳行は、本宮最後の締めくくり、各町ともあらん限りの力を振り絞り、日が暮れようとしても、名残を惜しんで、曳き回していた。

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DSC_kishiwada0108 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) 灯入れ曳行は子供が主役)

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DSC_kishiwada0110 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) 灯入れ曳行 「北」の字が映える)

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DSC_kishiwada0113 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) 灯入れ曳行 青年団もはっちゃける)

  午後7時、夕食もそこそこに灯入れ曳行が始まった。灯入れとは、かつて提灯を蝋燭で灯りを灯していたことに因む。近年は、LEDを使う町なども出てきた。赤い提灯がぼんやりと灯り、ゆっくりと曳行される姿は、昼間の「動」に対して「静」の空間である。そして、大人が主役の昼の曳行に対し、夜は「子供達」が主役である。赤ちゃんは親に連れられ綱の横を歩き、幼子も夜は曳かせてもらえる。そして小学生達は、鳴り物を任される。産まれた時から、こうして「だんきち(だんじりに熱狂する人)」が育っていくのである。
  灯入れ曳行も佳境に差し掛かった頃、筆者は、沼町(ぬま)の小屋に向かっていた。各町、本宮の灯入れ曳行の終わりに「しまい太鼓」という行事を行うのだが、沼町では「オッシャンシャン」という特殊行事が行われるのである。由来は、松平氏が領主の時代、石高五万石の所を検地無しに、石高六万石に引き上げられ、その重い年貢は領民に割り当てられ、苦しんだ。その後松平氏が転封となり、新領主として岡部氏が入封してきた時、沼村の大庄屋川崎久左衛門達が中心となって「強訴」に及んだ。願いは聞き入れられ、減石が約束されたが、首謀者の川崎久左衛門達は処刑された。以来領民たちはその御恩を忘れず、この時のことを「御庄屋様乃謝恩首(オショウヤサマノシャオンコウベ)」と言い伝えられてきたと云う。そして沼村の中心である沼町では、「オッシャンシャン」という勝ち抜き相撲を行っているのである。

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DSC_kishiwada0124 posted by (C)dankichi0423
(沼町(ぬま) 「オッシャンシャン」勝ち抜き相撲をとる)

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DSC_kishiwada0138 posted by (C)dankichi0423
(沼町(ぬま) 「オッシャンシャン」真剣勝負)

  やがて小屋にだんじりが帰ってきて、小屋に入れられると鳴り物の旋律が変わり、「オッシャカシャンノシャンコロベ」と口々に囃しながら、町の力自慢が現れ、勝ち抜き相撲が数番行われた。真剣勝負が繰り広げられ、今年は、青年団の副責任者が大健闘、惜しみない拍手が送られていた。最後に曳行責任者の挨拶があり、胴上げされていた。ふと隣をみると、中学生くらいの少女が涙を流していた。「今日からまた祭が始まるんやって!」おっちゃんの余計な励ましかも知れないが、思わずそう声をかけた。でも、筆者もこの「しまい太鼓」の瞬間は、これまでの苦労を分かち合い仲間と共に号泣したものだ。

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DSC_kishiwada0144 posted by (C)dankichi0423
(北町(きたんまち) しまい太鼓 「また来年・・・」)

  沼町を後にし、北町に差し掛かった時、北町も「しまい太鼓」が始まろうとしていた。各団体来年の責任者の挨拶が終わると、万歳三唱の後「しまい太鼓」で締めくくられた。「をれヨイヨイヨイ ヨイトマカセ! をれヨイヨイヨイ ヨイトマカセ! をれヨイヨイヨイ ヨイトマカセ!」また来年・・・

※おまつりのあとで・・・筆者は訳あって、曳きたいだんじりが曳けなくなり、「曳かれへんだんじりは楽しない!」と遠ざかっていた。しかし、近年見物する側で再びおまつりに関わり、今回探訪してきたような行事があることを知り見聞して、岸和田祭は「生きて」いる、そして必ず「神賑神事」として見直されてくると確信した。



※参考文献 「泉州岸和田地車名所独案内」(古磨屋 2006)
        「岸和田祭音百景平成地車見聞録」(森田玲著 民の謡 2007)
※この度の掲載において、北町、沼町各関係者にはお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。
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