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大室南部神楽復活祭
Wed.27.02.2013 Posted in 宮城県
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  宮城県石巻市北上町十三浜大室で、5月4日(土)10時から、大室漁業共同作業所にて、大室南部神楽復活祭が行われることになりました。大室の皆様が地域の「絆」を紡ぐ第一歩、是非お越しください。


大室復活祭


詳しくは、大室南部神楽保存会HPもご参照ください。

大室南部神楽保存会
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若柳妙見北辰神社奉納 優勝幕争奪 第52回宮城岩手選抜神楽大会
Mon.08.10.2012 Posted in 宮城県
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DSC_hokushin0001 posted by (C)dankichi0423 
(北辰神社)

  平成24年9月8日(土)宮城県栗原市若柳に鎮座する北辰神社にて行われた、若柳妙見北辰神社奉納 優勝幕争奪 第52回宮城岩手選抜神楽大会を探訪した。
  南部神楽は、宮城県北(栗原市、登米市など)から岩手県南(一関市、奥州市など)にかけての、旧伊達藩領内において分布する神楽である。元々は、岩手県一関市自鏡山に依拠する、羽黒山系山伏である法印により伝えられてきた法印神楽が、明治維新における廃仏毀釈により衰徴し、地元農民達により、法印神楽伝統の式舞(鶏舞、三番叟など)に加え、浄瑠璃や地元伝承の民話により作られた娯楽性の強い演題を加え、現在に至ったものである。南部神楽の「南部」には諸説あるが、早池峰系山伏神楽=「北部」に対する「南部」と名付けられた説が有力である。
  さてこの南部神楽は、数十にもわたる神楽団体が、各々の地域の祭礼奉納に加え、技量を競う「神楽大会」が盛んであり、「神楽大会」で見ることができる機会が多い。「神楽大会」は、古くは戦後から始まり、現在はホールや公民館などで行われることが多いが、かつては馬検場など外で行われていた。北辰神社で奉納される宮城岩手選抜神楽大会は、外で行われる神楽としては珍しい「神楽大会」である。

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DSC_hokushin0003 posted by (C)dankichi0423
(昨年度優勝幕)

  朝、北辰神社へ向かうと、鳥居には祭礼の幟が立ち、境内には舞台がかけられ、昨年の優勝団体の神楽幕が誇らしく飾られていた。また、雨天や日差しを避けるためにブルーシートがかけられていた。古の「野掛芝居小屋」を思わせる雰囲気である。参道沿いには、ヒーローもののお面やかき氷、焼き鳥など露店が立ち並び、多くの人々で賑わっていた。観客は老若男女で席はほぼ満席、南部神楽の人気の高さを窺えた。
  神楽大会は、岩手県、宮城県から選抜された団体が出演し、制限時間30分の中で神楽を奉納し、技量を競うのである。なお、昨年度の優勝団体は、審査の対象外で、特別出演という扱いになる。

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DSC_hokushin0009 posted by (C)dankichi0423
(城生野神楽会「お山かけ」)

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(城生野神楽会「鶏舞」)

  最初は、昨年の優勝団体である、宮城県栗原市築館の城生野神楽会による「鶏舞」である。「鶏舞」は、式舞の一つで必ず舞われる舞であり、また、神楽の基本動作であることから、初心者は「鶏舞」から習得するという舞である。地域によって「みかぐら」ともいわれる。舞の初め、ざいを付け、「若人面」という若い男の面を付けた役が現れて、「あれ?」と思った。「鶏舞」は、直面の二人舞なのである。後日、城生野神楽会の方に伺ったら、月読命という神様で、御祝いの席で祈願舞として舞われる「お山かけ」という演目であるということであった。続いて青年二人により「鶏舞」が舞われたが、舞に躍動感があり、さすが昨年の優勝団体だけある技量であった。
  その後、各団体による奉納が始まった。演目は「羽衣」など神話に基づいた演目や、源平合戦や義経伝説にまつわる演目、田村三代記など、地元の伝承に基づく演目など、多彩である。土地柄か、義経にまつわる演目が多い。

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(嵯峨立神楽保存会「撥ぐるま」)

  途中、ある団体で胴取りによる「撥ぐるま」が披露された。これは、胴取りによる一種の曲打ちで、撥をくるりと回したり、派手さがあり面白みがある。胴取りにそれ相応の技量がないとできない芸当である。

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(大森神楽保存会「五条の橋」武蔵坊弁慶)

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(大森神楽保存会「五条の橋」牛若丸)

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(大森神楽保存会「五条の橋」)

  九番目、岩手県奥州市衣川区大森神楽保存会による「五条の橋」。武蔵坊弁慶と牛若丸(後の源義経)による五条橋での戦い、そして牛若丸に打ち負かされた武蔵坊弁慶が牛若丸と主従の契りを結ぶ筋立てである。武蔵坊弁慶の荒舞と牛若丸の少年の爽やかさ、勝負での牛若丸の柔と武蔵坊弁慶の剛の対照は、観ていて爽快であった。

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DSC_hokushin0053 posted by (C)dankichi0423
(鶯沢神楽保存会「安宅の関」武蔵坊弁慶の勧進帳)

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(鶯沢神楽保存会「安宅の関」武蔵坊弁慶涙の打擲)

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(鶯沢神楽保存会「安宅の関」主従涙の抱擁)

  十一番目、宮城県栗原市鶯沢鶯沢神楽保存会による「安宅の関」。兄源頼朝との不和により奥州平泉へ山伏姿に身をやつして北陸路を下る源義経主従。安宅の関にさしかかり、関守 富樫に咎められる。関守と武蔵坊弁慶の押し問答、武蔵坊弁慶機転の勧進帳、しかしそれでも疑いは晴れず、主君への涙の打擲となる。関守は武士の情けで見逃す。武蔵坊弁慶は詫びを入れ、自害しようとするが、源義経はこれを許し、「平泉まで頼む」という、主従信頼が見所の物語である。関守と武蔵坊弁慶のやり取り、涙の打擲、最後主従手を取り合い、涙ぐむ武蔵坊弁慶の感情が私達観客の心に深く入り込み、素晴らしい奉納であった。

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(中野神楽「小袖曽我」母満江御前 五郎へ形見の小袖)

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(中野神楽「小袖曽我」勘当を受ける十郎への五郎の一計)

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(中野神楽「小袖曽我」母満江御前 十郎の勘当を許し形見の小袖)

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(中野神楽「小袖曽我」五郎)

  十五番目、宮城県栗原市栗駒中野神楽による「小袖曽我」。曽我兄弟と母満江御前との別れの場である。父の仇を打たんと母満江御前に挨拶に来る兄五郎、母より形見の小袖を受け取る。次いで十郎、しかし、度重なる勘当により受け入れられない十郎、五郎は一計を案じ十郎を討たんとする。そこで母は五郎を止める。十郎の勘当を許し、母は十郎に小袖を渡す。五郎十郎は母に別れを告げ、富士の裾野へ向かう。それを見送り、無事を祈る母・・・という物語である。五郎の一計を案じる場、兄弟を見送る母満江御前の心情が深く伝わって来た。

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DSC_hokushin0098 posted by (C)dankichi0423
(中野神楽教室「鶏舞」中学生の躍動感あふれる舞)

  十六番目、宮城県栗原市栗駒中野神楽教室による「鶏舞」。後継者育成のため、中野神楽の指導を受けた中学生が舞った。私が以前から気になっていた中学生が舞うので、固唾をのんで観た。以前動画でその中学生が三番叟を舞っていたのだが、堂々とした舞振り、爽やかな口上が素晴らしかったのだ。その中学生は、躍動感あふれる舞を堂々と舞ってのけた。

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DSC_hokushin0115 posted by (C)dankichi0423
(城生野神楽会「敦盛玉織別れの場」平敦盛、玉織姫涙の抱擁)

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(城生野神楽会「敦盛玉織別れの場」平敦盛、玉織姫涙の別れ)

  最後は、昨年度優勝団体で特別出演の宮城県栗原市築館の城生野神楽会による「敦盛玉織別れの場」。一の谷の合戦に赴く平敦盛と妻玉織姫の別れの場である。別れの場で、平敦盛が玉織姫を抱きしめ、涙する場面は、現実的で、もの凄く心に響いてきた。さすが、優勝団体である。舞も口上も素晴らしかった。
  以上、奉納が終わり、審査の講評と結果が発表されて、大会は幕を下ろした。

※おまつりのあとで・・・娯楽性が高く、大会で見る機会が多いとされる南部神楽。しかし、地域のおまつりで奉納が行われ、式舞もきちんと伝承されている事、互いに日々研鑽を深めている事は、生きたものであると感じられた。伝承者の減少により団体数が減っているというが、小さな子供がじいっと見ている姿を見て、これからも末永く伝承してほしいと願った。



※この度の写真掲載に当たり、中野神楽、城生野神楽会、大森神楽保存会の許可を頂き掲載いたしました。また中野神楽佐藤広運師、城生野神楽会佐藤涼氏、大森神楽保存会様はじめ神楽衆の皆様には大変お世話になりました。この場を借りて、篤く御礼申し上げます。
  
大須八幡神社祭典奉納 雄勝法印神楽 其の二
Sun.26.08.2012 Posted in 宮城県
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(雄勝法印神楽復興支援金窓口 引き続きご支援宜しくお願い致します「岡野玲子先生画」) 

「雄勝法印神楽 明神地区祭典」雄勝法印神楽の詳細や、震災前の姿をご覧ください)

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(雄勝法印神楽「湯立神事」)

  神輿が神楽舞台正面に安置され、舞台上に宮司、宮守、祭典役員が参集し、湯立神事が厳粛に行われた。太鼓、笛による「打ち鳴らし」のなか、宮司による祝詞、神楽師が、湯釜に沸かされた湯を笹に浸して、湯を祓う。湯立神事が行われないと、神楽は始まらない重要な神事である。

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DSC_houinnoosu0020 posted by (C)dankichi0423
(雄勝法印神楽「初矢」大須小学校の子供による舞)

  「デクン、デクン、デクン、デクン、デクスクデクスクデクスク・・・」勇壮な太鼓と笛が鳴り響き、神楽の魁として「初矢」が舞われた。「初矢」は国産み国作り神話を仕組んだ舞である。「初矢」は雄勝法印神楽の全ての基本となる舞であり、必ず「初矢」を習得して次の舞を習うのである。
  この日、「初矢」は、地元大須小学校の子供五人によって舞われた。この日のために、二月から一生懸命練習したのだそうだ。凛とした立派な舞と神談記(かんなぎ:口上)に、浜の方々始め多くの観客から、拍手が送られた。

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(雄勝法印神楽「魔王退治」素戔嗚命の神談記)

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(雄勝法印神楽「魔王退治」魔王の舞)

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(雄勝法印神楽「魔王退治」魔王の道化)

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(雄勝法印神楽「魔王退治」素戔嗚命の魔王退治)

  続いて「魔王退治」が舞われた。「魔王退治」は、高天原を追放された素戔嗚命が、諸国を巡っていた時、魔王が出没して邪魔をするので生業ができず悩み、苦しんでいる民を見て、素戔嗚命が魔王を服従させ、安住楽土を築くという舞である。雄勝の人々にとって、震災という困難を鎮めたいという思いが込められた舞であろうか・・・
  知慶という神が現れ、素戔嗚命を呼び出す。荒々しく姿を現わせた素戔嗚命は、知慶より、魔王退治を引き受ける。その後、舞台には、魔王三匹が現れる。魔王は細い青竹を持って舞う。舞の規則正しさや、潜りや跳躍がある点から、山伏修験による舞の名残を感じさせられる。一通り舞うと、魔王は舞台でだらりと寝込んだり、腕相撲を始めたり、舞台から降りて観客にちょっかいを入れたり…「道化」により観客を巻き込んで笑いの渦となる。魔王といっても、なんか怖さのない憎めない連中であり、こうした緩急のバランスが、観客を引き込む、神楽の魅力だと思う。
  やがて素戔嗚命が現れ、魔王と戦いが始まるが、命は魔王を組み伏せ、魔王は民に悪さをしないという手形を差出し、我先と逃げうせる。素戔嗚命が太刀を納め、舞を決めた時、観客から沢山の拍手が送られた。

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DSC_houinnoosu0046 posted by (C)dankichi0423
(雄勝法印神楽「道祖」)

  「道祖」は、導きの神、猿田彦命の舞である。猿田彦命は導きの神として、厄災を防いだり、道や港を作る神として崇められている。雄勝にとっては、これからの復興を祈願する、重要な舞なのである。
  雄勝法印神楽は、大津波により殆どの道具、衣装などを失い、今日まで復興を進めてきた。しかしその中で、大須浜では舞台は流されたものの面などは幸いに流されなかった。それにより、雄勝法印神楽は復興を進めつつ、今日まで活動を行えて来たのだ。従って、今回の大須浜の祭典奉納では、大須浜の面を用いて公演を行いたいという、神楽師達の強い思いがあったのだ。

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(雄勝法印神楽「岩戸開」)

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(雄勝法印神楽「岩戸開」)

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(雄勝法印神楽「岩戸開」手力雄命)

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(雄勝法印神楽「岩戸開」天鈿女命)

  爽やかな「道祖」の舞に続いて、「岩戸開」である。「岩戸開」は、雄勝法印神楽で最も重要な舞と位置付けられており、祭典奉納では必ず舞われなければならない舞である。素戔嗚命の乱暴に業を煮やした天照大神が、天の岩戸にお隠れになり、世の中は暗闇となった。神々が集まり、知恵を出し合い、岩戸の前で天鈿女命が懸命に舞い、神々はさんやさんやと賑やかにした。その時天照大神は気になり、岩戸を少し開かれた所、力持ちの手力雄命が岩戸を開き、世の中は再び明るくなる・・・という神話に基づいた舞である。天鈿女命の美しい舞、手力男命の勇猛な超人力、後半の手力雄命と素戔嗚命の戦いが見所の舞である。
  と、ここで神楽事務局の阿部さんから、お声がかかった。この度宮守さん始め、神楽保存会様のご好意により、御膳の席を頂戴することとなったのだ。今回訪問されていた岡野玲子先生ご夫妻はじめ、岩手のAさん・・・その末席に加えて頂いた。御膳には、ウニやアワビ等雄勝の海の幸が並んでおり、それを頂戴しながら、暫し神楽を座敷から鑑賞するという贅沢な時間を過ごさせて頂いた。

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DSC_houinnoosu0088 posted by (C)dankichi0423
(雄勝法印神楽「蛭児」蛭児が鯛を釣った!)

  少しほろ酔い加減になった頃、舞台では「蛭児」が現れた。雄勝は海を生業としている。そういう中で、豊漁、商売繁盛は、日々深く願うところである。「蛭児」は恵比寿様として、豊漁、商売繁盛の信仰の対象として、雄勝の人々から愛され喜ばれている舞である。
  蛭児は、笹の釣竿を持ち一指し舞う、その間道化の蛸が紙の切子の鯛を持って現れる。観客は「待ってました」と言わんばかりにやんややんやと賑やかになる。蛸は蛭児と釣りの駆け引きをしつつ、舞台から鼻毛を抜いて投げるわ、舞台から降りて観客席で一休みするわ・・・「おー釣れるぞ釣れるぞ?」「あー駄目だ!」繰り返し繰り返し、やがて蛭児は切子の鯛を釣りあげる。「釣れたぞ釣れたぞ!」観客から大きな拍手が上がった。雄勝にも再び大きな恵がもたらされるんだ・・・

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(雄勝法印神楽「蛭児」商いの場面 飛び入りのお母さん大活躍)

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(雄勝法印神楽「蛭児」商いの場面 飛び入りのお母さん大活躍)

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(雄勝法印神楽「蛭児」商いの場面 鯛の切子 豊漁や商売繁盛にご利益がある)

  やがて蛭児は舞台から去り、道化の蛸はさっきの切子の鯛をとり、そして多くの道化が現れた。そう、これから本日の「商い」が始まるのである。と、蛸はそこに観客席から一人のお母さんを招き入れ、お母さんも一緒に舞い始めた。雄勝は神楽が大好きなお母さんが多く、各浜に一人、舞上手道化上手がいるのである。やがて、商いが始まったが、お母さんは道化に負けない位「とんち」の効いた笑いを誘った。「大須養殖大尽講 百万両!」などと、商いが成立し、そのたびに、観客は「やんややんや!」と大喜びになる。目出度く、今日は豊漁商いも良し!とそこで、甚句が唄われる。お母さんは甚句に合わせて踊りだすと、観客の皆様大喜び、誠におめでとうございます!さて、切子の鯛は、豊漁や商売繁盛によいのか、地元の方々が競って求めに来、あっという間になくなるのだ。先ほどのお母さんも切子の鯛を頂き大変ご満悦である。こういう明るいお母さんや地元の人達が一つになる瞬間って本当にいいものだ。幸せになった。

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(雄勝法印神楽「鬼門」吽の舞)

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(雄勝法印神楽「鬼門」阿の舞 口で綱を切ろうとする)

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(雄勝法印神楽「鬼門」阿の舞 真剣で綱を切る)

  打って変わって、舞台と観客に緊張感があふれた。「鬼門」である。綱切り舞といわれ、素戔嗚命が「鬼門」=忌み嫌われる方角を打ち祓う舞である。綱は真剣をもって祓い、雄勝法印神楽でも、難しい舞なのである。その舞を、事務局でもあり、神楽師として若手から中堅になろうとしている阿部さんが舞った。
  まずは、「吽(うん)形」の面で、前半は押さえる様に舞う。緊張感も最高潮になってくる。やがて、「阿(あ)形」の面に変わり、荒々しい舞にかわる。やがて綱が張られ、素戔嗚命は始めその口で綱を切ろうとする。やがて真剣を抜き、剣を押し当て、剣を廻し・・・を繰り返す。観客も息を凝らし、固唾をのんで見守る。
  「ブツン!」綱を切った!静から動、阿吽の舞、大変美しい舞であった。観客からも惜しみない拍手が送られた。終わった後、楽屋で素戔嗚命から戻った阿部さんは、大汗をかきながら、安堵の表情を浮かべていたのが印象的であった。

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DSC_houinnoosu0123 posted by (C)dankichi0423
(雄勝法印神楽「笹結」田中明神 神談記)

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(雄勝法印神楽「笹結」田中明神と五鬼王の戦い)

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(雄勝法印神楽「笹結」田中明神と五鬼王の戦い)

  熱気と興奮が冷めやらぬ中、「笹結」が始まった。五鬼王と田中明神による戦いが見所の荒舞である。五鬼王と田中明神は舞台上で一差し戦ってから、宮守宅庭で戦い、さらに海へと下り戦って後、海で手を合わせた。本来は、戦いながら各家々を廻り、祈願を行うのだが、この日は海から宮守宅へ戻り、祈願を行い、再び舞台上で戦った。やがて五鬼王は退治され、田中明神が刀を納めた。大きな拍手が送られた。

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(雄勝法印神楽「日本武尊」岩永姫 色気が漂う)

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(雄勝法印神楽「日本武尊」日本武尊 猛々しい怒りが伝わる)

  日も西に没しようとしていた。最後の演目「日本武尊」が始まった。八岐大蛇を退治し得た宝剣「天の叢雲」を、岩永姫に化身した鬼女が、日本武尊から奪い、日本武尊は鬼女と戦いこれを退治するという、荒舞でも有名な舞である。
  岩永姫に化身した鬼女は、保存会長が舞われた。保存会長は、女舞の名手で、岩永姫の押さえた色気の舞を見事に舞われた。私はその魔力と云おうか魅力に引き込まれていた。
  やがて、宝剣を奪われ、怒れる日本武尊が現れた。日本武尊は、ベテランの神楽師永沼さん、荒舞の名手の一人である。荒々しい舞と神談記に、興奮を覚えた。

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(雄勝法印神楽「日本武尊」日本武尊と鬼女の戦い)

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(雄勝法印神楽「日本武尊」日本武尊と鬼女の戦い)

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(雄勝法印神楽「日本武尊」日本武尊と鬼女の戦い)

  岩永姫に化身した鬼女はやがて荒々しく現れ、着物を投げつけ、日本武尊はホコで払いのける。鬼女は、舞台の天蓋に乗り、誇らしく立ち上がった。「日本武尊」最大の盛り上がりの場面である。観客も、心躍らせ、もう最高潮である。鬼女は天蓋にぶら下がり、日本武尊とホコを何度も交えた。勝負つかず、ついに舞台上で相見える。息を呑む。ホコから剣を交え、遂に鬼女は打ち取られ、日本武尊はその首級を誇らしげに上げる。やがて太鼓は急調子に変わり、日本武尊は直面となり、人間の姿でチラシを舞う。舞い終えた時、観客からは名残を惜しむかのように割れんばかりの拍手が起きた。

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(神楽が終わり神輿の還御)

  すると、地区の若者が再び集まり、神輿を担ぎ「チョーサイト!」と練り歩いた。観客も地元の方々もおまつりの終わりを惜しむ気持ちを知っているかのように、いつまでもいつまでも宮守宅庭で、神輿は練り歩き、日が傾かんとした頃、神社へと還御となった・・・
  還御後、私は保存会長様はじめ何人かの神楽師さんとしばしお話をしていた。すると、明神浜の神楽師山下さんと偶然お話ができ、明神浜の様子を伺えた。残念ながら何人かの犠牲者は出たが、多くの方が無事であること。そして、私がずっと気になっていた、明神浜きっての舞上手なお母さんは、山下さんのお母様であり、そしてご無事だという。私は安堵と共に涙がにじんだ。また、明神浜で出会った塩釜のカメラマンの方もいらっしゃり、無事であったことは嬉しかった。

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(おまつりのあとで 宮守さん宅での直会)

  暗くなった宮守さん宅では、神楽師と祭典役員による直会がかたられていた。祭典役員さんの一人が津軽三味線をひき、保存会長さん始め喉に自信のある方々が甚句を唄われた。そして、祝唄でおひらき。大須浜の祭典は終わりを告げた。
  おまつりの後で・・・雄勝ではその後、桑浜、立浜でも天候に恵まれ祭典、神楽奉納が行われ、春季祭典は、盛大に、終わりを告げた。雄勝は、また雄勝法印神楽は、真の復興はまだまだこれからである。しかし、おまつりと浜の人々の絆は確かに生きている。生きている限り、雄勝は絶対に立ち上がる。そう信じている。



※この度の写真掲載に当たり、雄勝法印神楽保存会の許可を頂き掲載いたしました。また大須浜の宮守さま始め祭典役員の皆様、神楽保存会長伊藤博夫様、事務局の阿部久利様始め神楽師の皆様、浜の多くの皆様の御縁により撮影が行えました。お一人お一人に、この場を借りて感謝いたします。
  
   
大須八幡神社祭典奉納 雄勝法印神楽 其の一
Wed.08.08.2012 Posted in 宮城県
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(雄勝法印神楽復興支援金窓口 引き続きご支援宜しくお願い致します「岡野玲子先生画」) 

「雄勝法印神楽 明神地区祭典」雄勝法印神楽の詳細や、震災前の姿をご覧ください)
 
 平成24年5月 宮城県石巻市雄勝町の大須、桑浜、立浜の三地区で、春季祭典が執り行われ、併せて、雄勝法印神楽が奉納される運びとなった。平成23年3月11日、東日本大震災と大津波より一年、雄勝の各浜、法印神楽が、復興への歩みを一歩進めたのである。私は、5月5日(土)に執り行われる大須八幡神社祭典と法印神楽奉納を探訪した。
 前日、私は北上川を下流に向けて走っていた。震災後、雄勝を訪れるのは初めてであった。何度か訪問を迷ったが、所詮自分なんか足手まといだ・・・と卑怯にも躊躇してしまい、また二年前に訪れた雄勝の現状や皆様の安否を知ることが怖くて、今日まで足を運べなかったのだ。
 やがて、新北上大橋のある国道の交差点に差し掛かった。私は、初めに大川小学校を訪ねた。大川小学校は、3月11日、大変悲しい出来事が起きた場所である。私は祭壇で手を合わせて、亡くなられた子供たちのご冥福をお祈りした。苦しくて、涙が出た。
 そして、一旦新北上大橋を渡り、旧北上町十三浜大室浜を訪ねた。大室浜には、大室南部神楽があり、3月11日の大津波により、浜と共に甚大な被害を受けられたのだ。大室浜では、瓦礫は片づけられ、港に船が繋留され、加工場のテントが設置されていたが、家は全く残っておらず、人は誰もいなかった。私は海と浜に向かい、手を合わせた。

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(大室南部神楽支援金窓口 皆様のご支援宜しくお願い致します)

 そして、先来た道を取って返し、釜谷トンネルを越えて、いよいよ雄勝町に入った。基礎だけ残った家々、建物だけ残り窓は破壊されていた公民館や学校、そして跡形もなくなっていて、仮宮がぽつりと安置されていた新山神社、処分されず山積みになった瓦礫の山・・・二年前に見慣れた町は、様変わりしており、言葉が出なかった。新山神社の仮宮で、手を合わせ、犠牲者の方々のご冥福を祈り、一日も早い復興を祈願した。さらに先へ進み、旧雄勝総合支所に差し掛かった。支所の建物も三階まで、壊滅的な被害を受けていて、津波の凄まじさを感じた。現在旧支所には、仮設の商店街が開かれており、その日もゴールデンウィークということもあり、多くの人々で賑わっていた。今雄勝に住む人は少ない。これが、雄勝に人々が戻る第一歩になって欲しい、そう願った。先へ進み、雄勝病院に差し掛かった。こちらでも、大津波により多くの患者さん、お医者さん看護婦さん達が犠牲となったと聞いた。皆様のご冥福をお祈りし、手を合わせた。旧支所を越えると、雄勝湾沿いに道は続く。以前は、そこに堅牢で高い防波堤が続いていたのだが、あちこちで津波により流されて、土嚢で応急措置がなされていた。やがて二年前 初めて祭典奉納に訪れた明神浜に差し掛かった。「ええっ!?」奉納会場となっていた老人憩いの家、集落の住宅、雄勝石スレート工場、そしてその時お世話になった商店も全て、跡形もなくなっていた。私にとって、目に焼き付いた景色、人々の笑顔、そこにはそれらを思い出す跡すらなかった。これまで堪えていたものが堰を切った。「なんやねん!津波の馬鹿野郎!う、う・・・」一人でも多くの方が助かっていてほしい、そう願い手を合わせた。その後、法印神楽の根幹である「御神楽大事」が危うく難を逃れたものの、拝殿が半壊してしまった葉山神社を訪ね、そこから、峠を二つ越えて、大須浜に向かった。
 大須浜は、雄勝湾沿いの集落と異なり、リアス式海岸の断崖上の高台に集落が形成されている。そのこともあり、港の施設や、港沿いの建物に被害は出たものの、被害も比較的少なかったことから、地域の小中学校は避難所の拠点となっており、現在も仮設住宅があり被災者が居住している。
 私は宿に入り荷物をまとめてから、一先ず下見にと思い、宿から下ったところにある、祭典、神楽奉納の中心となる宮守さんのお家に向かった。すると、地域の祭典役員の方々や、法印神楽の関係者が集まっていらっしゃった。今日は宵宮だったらしい。調査不足だった自分を恥じ、法印神楽部員で事務局の阿部さんにご挨拶して、見学をさせて頂いた。宵宮は、宮守さんのお宅から少し上がった所にある八幡神社で行われる。宵宮に参加する一行は、めいめいに供え物を捧げ持ち、息を吹きかけない様、白紙を口にしていた。
 八幡神社では、太鼓・笛により神楽囃子が奏でられ、厳粛な中、宵宮の神事が滞りなく進められていた。拝殿外でいた私がふと集落に目をやると、もう夕闇が迫っていた。
 宵宮後、明日の撮影の許可を法印神楽事務局の阿部さんに得て、それから宮守さんにお伺いを立てに行ったところ、祭典役員の方々が集まられて、直会が始まっていた。「おうお前はどこから来たっちゃ?東京か!ほら上がれ上がれ!」と促されるままに、直会のご相伴に預かった。宮守さんご夫妻に撮影の許可を頂き(「ここなら写しやすいしいいよ!早い者勝ちだよー!」と宮守さんの奥様に場所も斡旋頂いた。)、しばし皆様とお話していたが、とにかく明るい。大須浜では三年前悪天候で中止になったこともあり、三年振りの開催、祭典役員の方々も口々に「よかった、よかった」とおっしゃられていたのが印象的だった。雄勝の現状をみて沈みがちだった私の心だったが、浜の皆様の暖かく明るい心に、心が暖まった。

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(祭典の朝 晴天 朝陽が眩しい)

 5月5日(土)朝、大須浜は明るい日差しがさしていた。晴天である。街中では、万国旗の飾りや鯉幟、幟旗が、朝日に照らされてたなびいていて美しい。8時過ぎから八幡神社で祭典、9時から御神輿のお通りが始まるということだったので、朝食をかき込み、宮守さん宅へ急いだ。大漁旗が朝日に照らされながら雄々しくたなびく宮守さん宅では、祭典やその後行われる神楽の準備で大わらわであった。ご挨拶をして、八幡神社へと向かった。

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(大須浜の人々の「笑顔」「笑顔」「笑顔」で一杯 おまつりの前に)

 八幡神社では、神輿を担ぐ若者、先導をする白丁の方々、子供神輿の中学生、稚児行列の子供達、大勢の浜の方々そしてボランティアの方々で埋め尽くされていた。皆様のどのお顔を拝見しても「笑顔」「笑顔」「笑顔」・・・兎に角「笑顔」で満ち溢れている。三年ぶりに行われる祭典は、浜の人々にとっては、大変うれしく心躍るものなのだ。色々な困難に直面してこられたが、やはり浜の祭典は、人々の心の拠り所であり、絆の中心なのだと胸が熱くなり、その様子をファインダーから覗き、シャッターをきらせて頂いた。皆様、皆様今か今か、神事が終わってまだ始まらないかと、めいめいが、歓談し、待ちわびておられた。

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(太鼓が鳴った さあ神輿の出御だ)

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(浜の若者が神輿をもむ「チョーサイト!」)

 神事が無事執り行われて、神輿に鳳凰が載せられて、いよいよ、神輿渡御が始まろうとしていた。軽快な太鼓と笛が鳴り響くと、浜の若者たちは、待っていましたとばかりに神輿を担ぎ、まずは八幡神社境内を「チョーサイト!チョーサイト」と勇ましく掛け声をかけて練り歩いた。若者たちは神輿を前後左右に「もんで」練り歩く。神様は神輿がもまれればもまれるほどお喜びになると聞いたことがある。浜の人々と神様が喜びを共にしている様を体と心で感じた。

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(勇ましく神輿が担ぎ上げられる!)

 「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」突然雄叫びと共に、神輿の前を天にも届かんばかりに担ぎ上げて走り、さっと降ろしてくるりと回った。大きく重い神輿を自在に操る圧巻の場面である。浜の若者たちの腕の見せ所であり、若者たちの男らしい場面である。「チョーサイト!チョーサイト!・・・ウワァー!!!」境内では繰り返し繰り返しもまれ担ぎ上げられ、観衆のボルテージも上がり、若者たちに一杯の拍手と声援を送っていた。

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(神輿の行列に手を合わせる人・・・)

 猿田彦命や稚児行列を先頭に神輿は八幡神社から下り、集落への宮下りを行った。途中道路でも神輿はもまれ担ぎ上げられ、沿道にいた浜の観衆を魅了していた。道中印象的だったのは、人々がめいめい神輿に手を合わせられていたこと。どのような思いで手を合わせられていたのだろう・・・

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(子供たちも神輿を勇ましく担ぎ上げる!)

 やがて神輿は浜へ下り、そこで安置されて、そして、遅れて子供神輿もやってきた。「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」大人に負けじと子供たちも神輿をもみ担ぎ上げ、浜の観衆から惜しみない拍手と声援が送られていた。神輿が安置され、宮司による祝詞が上げられ、小休止となった。

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(獅子に噛んでもらい無病息災)

 すると、獅子が出てきてひとさし舞った。獅子は、雄勝では神楽とは別に独立しており、正月の春祈祷やこうした祭典で舞わされる。浜の人々は順番に無病息災を願い噛んでもらっていた。

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(海上渡御を前に禊を行う若者)

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(神輿の海上渡御)

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(神輿の海上渡御 震災前は、背後の島まで行っていた)

 やがて若者たちが浜べりに行き、めいめいが海水で禊を行い、若者と共に神輿は海に入った。大須祭典一番の見どころ海上渡御である。海向こうには小島があり、かつては海上渡御し、小島まで行ったそうだ。しかし、震災で地盤沈下し、小島へは行かず海上渡御のみであった。「チョーサイト!チョーサイト!」若者は海上であらん力を振り絞り、神輿を練り歩く。浜には既に浜の方始め多くの人々が集まっていたが、皆固唾をのんで見守っていた。「よかったー、これがみられて本当によかったー。」と語ってくださったおばあさまの一言が、皆の心にあっただろう。何度も海上を練り歩いた神輿は、上陸後、そのまま大須小学校へ向かい、仮設住宅でも神輿をもみ担ぎ上げ、祭典会場である宮守宅へ戻ってきた。祭典会場でも、神輿は何度も何度も「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」ともみ担ぎ上げ、やがて舞台正面に安置された。いよいよ、雄勝法印神楽奉納である。(其の二に続く)



※この度の写真掲載に当たり、雄勝法印神楽保存会の許可を頂き掲載いたしました。また大須浜の宮守さま始め祭典役員の皆様、浜の多くの皆様の御縁により撮影が行えました。お一人お一人に、この場を借りて感謝いたします。
 
 
 

 
 
雄勝法印神楽 鎌倉宮奉納
Mon.10.10.2011 Posted in 宮城県
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(雄勝法印神楽「岩戸開」「手力雄命」平成22年5月 震災前の記録・・・)

雄勝法印神楽 明神地区祭礼奉納

 平成23年10月9日(日)神奈川県鎌倉市鎌倉宮にて行われた、「雄勝法印神楽 in 鎌倉宮」を探訪した。
 雄勝法印神楽は、3月11日の東日本大震災による大津波で、保存会長が犠牲となり、また面・衣装・道具類のほとんどが流失するという大きな被害を受けた。また、神楽の基盤となる浜を始めとした地域も壊滅的な被害を受けた。
 雄勝の人々は、地域の復興に向けて立ち上がり、歩み始めた。その中、神楽衆たちは、ふと立ち返ったとき、そこにあったはずの文化が失われていたというような悲しい憂き目に地域の方々があわないようにしたいという思いから、雄勝法印神楽の震災復興を始めた。
 そして、全国の方々のご厚志により神楽への支援の手が差し伸べられ、面・衣装・道具・神楽舞台の復旧を概ね進めることができた。その中、御縁があってこの度鎌倉宮で復旧復興のための公演が実現したのである。

 境内に入ると、先日復旧したばかりの神楽舞台が組み立てられ、正面にはこれも復旧したばかりの神楽幕が張られている。、ああ、ここまで復旧できたのだという喜びと共に、既にもう昔からあったかのような雰囲気も感じた。
 神楽衆の誇りと愛着により、全てのものが「雄勝法印神楽」と既に一体化していたのであろうか・・・
 やがて神楽衆が舞台に上がり、神楽が始まった。「デクン デクン デクン…デクスクデクスク…」勇壮な二基の太鼓と流麗な笛の音を聴いていると、昨年雄勝明神の浜で観た神楽の景色が頭の中に浮かんできた。そして目の前では、その時のままの、神楽が今まさに舞われているのだ!思わず涙が溢れた。
 神楽衆による勇壮、優雅、笑いあり、そして気迫せまる大変素晴らしい上演だった。神楽の復興の息吹を確かに感じられた。

〇第一部 道祖(どうそ) 岩戸開(いわとひらき) 産屋(うぶや)
〇第二部 橋引 鬼門 蛭児(ひるこ) 日本武尊(やまとたけるのみこと)

 最後にお願いがあります。雄勝法印神楽は皆様のご厚志により支援の輪が大きくなってきております。しかし、地域・神楽はまだまだ復興の歩みを進めている所であります。引き続き皆様のご支援を何卒よろしくお願いいたします。

雄勝法印神楽復興支援金要綱

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