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山内の花
Sun.02.12.2012 Posted in 愛知県
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  平成19年11月10日(土)11日(日)、愛知県北設楽郡豊根村三沢山内で山内の花を探訪した。私は当初、東栄町の御園の花を訪れる予定であったが、「山内の花が今年で一旦休止するかもしれない。」という情報に接し、急遽山内へと向かったのだ。御園トンネルを越え、豊根村に入り、みどり湖沿いに車を走らせた。湖底には、かつて曽川という集落があり、花が行われていたが、昭和45年新豊根ダム建設により水没し、休止になった。車をさらに山に向けて走らせるが、家が殆どない。少し寂しい思いを抱きながら進んでいた時、人里が見え、山内の集落にたどり着いた。
  山内の花は、先述した、昭和45年に休止した曽川の花と共に、古文書より、花と、その原形である大神楽発祥の地の一つであるとされており、四百年以上にわたって継承されてきたのである。山内の花は、昭和36年までは三沢地区六組(山内・粟世・牧の島・樫谷下・明金・浅草)により「三沢の花」として執行されてきたが、昭和37年からは、花の中心である二人の花太夫(林家、榊原家)と宮人が居住する山内のみで執行することとなったため、「山内の花」と呼ばれるようになった。しかし、山内は小規模高齢化集落、いわゆる限界集落で、高齢化と人手不足による多大な負担により、やむなく休止に至ったのである。

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(山内の花 湯蓋 衣笠 ぼでん)

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(山内の花 ぼでん)

  山内の花の祭場は山内公民館を花宿とする。公民館に入った所に土間があり、そこを舞庭としている。中央には炉が切られ、五徳式の湯釜を掛ける。私が探訪したときは、全て鉄造であったが、かつては、丸太を四方に立てた五徳式の湯釜であったようである。(竹内敏信氏の写真集「花祭」で確認できる。)湯釜の上には、湯蓋が吊り下げられる。湯蓋は、中心と四隅に東・青、南・赤、西・白、北・紫、中央・黄の五色の「かいだれ」を下げたもので、諸神仏の依代である。中央の湯蓋からさらに北隅に衣笠という依代が吊り下げられる。衣笠は五色の「かいだれ」など様々の切り紙が組み合わせれて作られる。衣笠は、山内のみの呼び方で、他地区ではびゃっけ(百蓋)と呼ばれている。そして、神座斜め後ろの柱に「ぼでん(梵天)」という依代が飾られ、湯蓋―衣笠―ぼでんという神道が形成されている。なお、ぼでんは他地区には見られず、大神楽の白山で飾られていたとされている。舞庭四方には笹竹が立てられ、諸神の名を書いた幡が掛けられる。四方には注連が張られ、五色(?写真で記憶をたどる範囲で)のかいだれが掛けられるが、他地区のように「ざぜち」はない。
  舞庭左側中央に太鼓が置かれて、そこを神座と呼ぶ。笛、太鼓の楽の中心であり、また諸神事が行われる。神座後方は、見物席となっているが、窓側に「花育て」の神事に使用される御串が立てられている。また神座の右斜め後ろには神部屋があり、幕で仕切られる。そこは花での支度部屋であり、また「しずめ」等神事を行う部屋であるため、宮人以外の立ち入りは厳禁とされている。

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(山内の花 花宿の公民館 手前の笹竹が結界である)

  外に目を向けると公民館正面の道路(林家、榊原家花太夫屋敷に通じる)及び公民館から脇へ通じる道路に笹竹が立てられ、注連縄が張られる。これは結界で、神迎えを行うまで諸人は通ることを許されない。この結界について、私は己の不勉強さを恥じた経験をした。車を止め、何も考えず、そのまま公民館へ向かおうとした。すると、「こら、馬鹿者!結界を通っちゃいかん!」頭をガツンと殴られた面持ちであった。無知の私をお叱り下さったのは、長年花祭やその起源の大神楽、霜月神楽の研究をされている山崎一司先生。私は、これ以降、必ず最低限のことを学んで臨むことを自らに戒めている。
  以下、私の記憶に残る限り、神事、祭事について記述してゆきたい。しかし、何分当時まだ「記録する」という意識のない、一カメラマンであったため、些か記憶が弱く拙い写真、文書であり、ご容赦願いたい。従って、詳細を知りたい方は、山内花祭り保存会刊の「山内の花祭り」を参照されたい。(私も、今回の執筆に当たり、当書によって勉強しなおしたことを付記しておく。)

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(山内の花「神迎え」)
  
 「神迎え」「天狗打ち」「門固め」「面拭き」
  夕刻、花太夫家より、面箱、太鼓を背負って来た宮人三人と、林花太夫と榊原花太夫が公民館の入り口で向き合い、迎える。両花太夫は面箱に対して二拝、二拍、一拝する。続いて「天狗打ち」「門固め」「面拭き」の神事が行われたようだが、残念ながら私は記憶に残っていない。

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(山内の花「しめおろし」)

 「しめおろし」
  小紋染のゆはぎを着た宮人全員が、右手に鈴を持って神座後方の座敷に集まり、太鼓と笛の楽に合わせて鈴を振り、「しめおろし」のうたぐらを歌う。東・南・西・北・中央に向かってうたぐらを唱和する。「嶋まつり」になると、各方角毎で、「餅玉とおる」で、丸餅を投げる。老い若き宮人たちは、厳粛に、うたぐらを唱和していたことが印象的であった。

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(山内の花「楽の舞」)

 「楽の舞」
  林花太夫による一人舞で一折舞われた。着物にゆはぎを着て、草履を履く。両手には撥を持ち、新筵の上で舞う。楽は笛だけである。花太夫は、舞手一つ一つしっかりと撥を清め舞われた。

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(山内の花「とうごばやし」「こうぎひろい」)

 「とうごばやし」「こうぎひろい」
  「楽の舞」が終わると、林花太夫は太鼓前に坐し、宮人が周囲を取り囲み坐す。花太夫は力強く太鼓を打ち鳴らし、「とうごばやし」のうたぐらを、花太夫、宮人で唱和する。「とうごばやし」の詞章を歌い終わったら、続けて、「こうぎひろい」のうたぐらを唱和する。「こうぎひろい」は「こぎひろい」ともいい、湯立てに至るまでの由来を一つ一つ唱和して、舞庭の湯釜が神聖であることをといたものである。

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(山内の花「しきさんば」)

 「しきさんば」
  平服でゆはぎを着た宮人一人が一折舞う。右手に鈴、左手に扇を採る。新筵の上で舞われるため、儀礼的舞とされる。このとき舞った若い宮人、その背中では、宮人の息子さんであろう子供がじいっと見守っていた。その子供に伝承ができれば・・・

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(山内の花「順の舞」)

 「順の舞」
  平服でゆはぎを着た宮人四人舞である。右手に鈴、左手は扇を採る。湯釜の正面で舞われる。若い宮人達は颯爽と舞い上げた。
  なおこのとき印象深かったのは、笛と太鼓の楽である。弾む太鼓、笛は、他地区にもない、低い調子哀調を帯びた拍子であった。民俗音楽としても、どの花も敵わない素晴らしい拍子。この後のじがた舞で、私はとっさにレコーダーで採録した。

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(山内の花「じがた舞 扇」)

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(山内の花「じがた舞 扇」鈴合わせ)

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(山内の花「じがた舞 ヤチゴ」)

 「じがた舞(扇・ヤチゴ・金山(剣))」
  他地区で「地固め」という。青少年二人の宮人による舞で、扇・ヤチゴという木剣、金山と呼ぶ剣の各採り物を採って三折が舞われる。衣装はゆかたびら、裁着、扇のみゆはぎを着る。じがた舞より芸能的要素がが出てきて、湯釜の正面、くろ(周囲)を舞う。私の記憶では、舞式は、豊根村の大入系の舞式と同様であったと思う。扇の舞での少年二人の鈴あわせの美しさが印象的であった。また、剣の手では、急遽舞うことになった宮人が、慣れない舞で、他の宮人から「下手くそぉ―!」と厳しい言葉を掛けられていた。でも厳しい中に、暖かいものを感じた。

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(山内の花「一の舞」)

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(山内の花「一の舞」)

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(山内の花「一の舞」)

 「一の舞」
  青年一人の宮人による舞で、三折でる。両手に笹を採り、左手に扇、右手には鈴を添える。三折ともゆかたびらにゆはぎを着る。舞は正面に深く頭を下げて笹を付け拝礼の所作を三度する。次いで立ち上がり片足立ちで大きく両手を左右に広げて反り返る所作を繰り返す。そして太鼓が急調子になったら舞庭の五方を跳躍し、笹を振り上げる。観客に笹で撫でて回り、終わる。一折は、笹で人を叩いて回る。「そぉーれ舞えそぉーれ舞え!」と囃す声に舞い子は笹で叩く叩く・・・。若い宮人たちの舞振りは大変美しく豪快であった。

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(山内の花「山見鬼」子鬼が舞う)

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(山内の花「山見鬼」)

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(山内の花「山見鬼」)

 「山見鬼」
  子鬼(他地区では伴鬼という。)が数匹現れ、「トーホヘテーホヘ トーホヘテーホヘ テーホトーヘトヒャヒャ!」の掛け声で、舞庭をさんざんに舞う。この時は小学生くらいの子供が一人声を張り上げ「トーホヘテーホヘ!」と囃していたが、宮人の一人が「やいやい!見物もっともっと囃せー!トーホヘテホヘ・・・」と囃し、多くの見物も一緒になって囃しだしたのが印象的であった。子鬼の舞は、30分位であっただろうか。大入系特に豊根の子鬼はさんざんに激しく舞わされる。舞う鬼もヘトヘトだろう。
  やがて、親方である山見鬼が威風堂々現われた。手には大きな鉞、文様がハート様で、面白い。三つ舞の舞い手が、松明を持って足元を照らし警護する。湯釜の正面で五方見し、次いで湯釜の周りを一巡し、「山を切る」の舞を行う。この一巡を「山見物」とも言われる。湯釜正面に戻り五方見し、「山を切る」舞を行う。その後、調子が急になり鉞を高く掲げてくるりと回す。そのときに、衣笠の中心の福袋を払い、五色の花びらを散らす。そして五方見して、去っていった。
  この「山見鬼」、大神楽では、「ひとくら遊び」という次第で、司祭との問答で「山見物に参って候」と答えたことから、「山見鬼」と言われるようになったという。そして「榊鬼」は大神楽ではなかったのである。大神楽から花への再編の中、「山見鬼」はおおきく変容したのである。大変興味深い。

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(山内の花「四つ舞 扇」)

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(山内の花「四つ舞 扇」)

  消えた花の舞・・・「四つ舞 扇」
  神部屋の入り口には「花の舞」で用いる花笠が四つ、作られていた。竹内敏信氏の写真集「花祭」では、「山内の場合、数年先は確実に花の舞はできなくなるという」と、昭和58年の段階で解説にて書かれていた。その後、外へ出た山内出身者達で何とかやってきたのだろう。小学生中学年の男の子1人、高学年位の女の子3人が舞庭に現れた。左手に扇、右手に鈴を採って舞う。しかし、花笠は被っていなかった。そう、花の舞ではなかった。その証左に、舞の最後、湯釜の周りで烏とびの所作を行ったのである。「四つ舞」の扇の手であった。まだ若い彼らの舞は立派で、思わず拍手をした。しかし、残念ながら、最後まで花笠の出番はなかった。「花の舞」は、次第から消えてしまったのである。
  その後、女性による「四つ舞 扇」も出た。もしかしたら、昔子供の時、「花の舞」で舞い、今は「四つ舞」を舞った子供たちの母親だったのかもしれない。

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(山内の花「湯立て」)

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(山内の花「湯立て」)

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(山内の花「湯立て」)

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(山内の花「湯立て」)

 「湯立て」
  林花大夫、榊原花太夫、宮人4人が湯釜正面に並ぶ。林花大夫は御神酒、洗米、塩、干柿、釜幣を乗せた膳を捧げ持つ。林花大夫は湯釜の北側に新筵を敷き、その上に座して膳を据える。次いで湯釜に一拝し、印を結び唱え言をし、幣で払う。榊原花大夫、宮人は片手に笹を束ねた湯手草(ゆたぶさ)を持ち、太鼓に合わせて湯立てのうたぐらを、湯釜を正面に東南西北の順に唱和する。再び正面に戻ったときに、林花大夫が一同に加わり、再び湯釜を正面に東南西北の順に、ひとしきりうらぐらを唱和し、次いで皆は湯釜を囲んで湯手草を湯釜に浸し、神ひろいのうたぐらを歌う。そして湯手草を上げたり下げたりかき回したりの所作を繰り返し、湯立てを終える。最後に林花大夫は湯釜の湯を椀に汲み、神部屋に供える。

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(山内の花「舞いおろし」)

 「舞いおろし」
  湯立てが終わると、平服にゆはぎを着た宮人が、両手に湯手草を採り、湯釜正面で舞う。湯手草を左右に激しく振り、躍動的で勇壮な舞であった。
  この舞は、山内のみに残る舞である。大神楽にはその次第はないが、大神楽から花への移行に際して、湯立てに続く舞として発生したと考えられている。よく考えてみると、舞の様子が、ゆたぶさを採る「湯ばやし」に似ていると思った。

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(山内の花「花育て」)

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(山内の花「花育て」)
 
 「花育て」
  林花太夫と榊原花太夫、宮人三人が、ゆはぎを着て、五色の大御幣を持って舞庭の湯釜を囲む。そしてその外側に、村人(見物人もいた)が花の御串を持って取り囲む。花の御串のうち、大きい御串を持つ者は、「こうかずら」というものが被せられる。どういうものであったかは、記憶にない。両花大夫、宮人は湯釜の周りで花の惣門を唱えながら、ゆっくりと左へ回る。そして花の御串を持つ者は、御串を「ドスン、ドスン」と地面に突き立てながら、舞庭を回る。
  「花育て」は、大神楽白山行事の浄土入りの様子を今日伝える貴重な次第である。
  ※なお花育ては、現在休止した山内のほかは、下黒川と、山内が伝承した、豊橋市御幸神社で行われているのみである。

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(山内の花「火の禰宜」道化)

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(山内の花「火の禰宜」)

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(山内の花「巫女」儚げな美しさ妖艶さ)

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(山内の花「巫女」儚げな美しさ妖艶さ)

 「禰宜(火の禰宜)・巫女」
  竹の枝を採った道化面が2、3人湯釜の周りを舞い廻った。道化は竹の枝をさんざんに振り回す。観客にも当たりそうになり、喚声が上がる。そして禰宜が現れる。頭に手ぬぐいを巻き、壮年の男面、ゆはぎを着て、草履を履く。左手にひいなという幣を採り、右には鈴を持つ。そして、林花太夫と問答を行う。何処から来た何者だ、太鼓にお礼を申せ、笛にお礼を申せ・・・と花大夫は禰宜に問答を試み、禰宜は、当意即妙に答え、観客から笑い声と喚声が起きる。「禰宜様、そんなすぐあやまっちゃだめだに!」「禰宜様の勝ちだに!」「ほうれ禰宜様もっともどきを困らせんと!」禰宜もあれやこれやと答え、最後にはお礼を申す。そして花太夫が、「火の禰宜にお礼申せ」といって、炉から榾を取り出し投げると、禰宜は驚き「熱いな」と返し足で踏み消す。問答が終わると湯釜のくろを舞って、去る。
  次いで、林花太夫に付き添われ、巫女が現れた。巫女面に青い布を被って垂らし、瓔珞の天冠をおく。装束は緋色の袴に青色の水干、白足袋に草履を履く。左手に開扇、右手に鈴を採る。巫女は付き添い役とともに、湯釜を廻るだけである。
  私は、この巫女の儚げな美しさ、妖艶さに思わず見惚れてしまった。各地の花を探訪したが、山内の巫女が一番妖艶で美しいと思っている。

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(山内の花「三つ舞 扇」)

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(山内の花「三つ舞 扇」)

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(山内の花「三つ舞 扇」烏とび)

 「三つ舞 扇」
  三人の宮人による舞、中学生の少年が舞った。白の襦袢にゆはぎを着て、裁着をはき、草履で舞う。左手に扇、右手に鈴を採る。じがた舞に加えて、はんや、烏とびの舞が加わり、少年にとっては試練の舞となる。少年達の懸命な烏とびに観客から「いいぞー頑張れ頑張れ」と声が掛かっていた。

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(山内の花「榊鬼」消防団の子鬼)

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(山内の花「榊鬼」)

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(山内の花「榊鬼」)

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(山内の花「榊鬼」問答)

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(山内の花「榊鬼」六引き)

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(山内の花「榊鬼」新筵で反閇)

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(山内の花「榊鬼」)

 「榊鬼」
  「三つ舞 扇」が終わると、せいと衆は、「トーホヘテーホヘ トーホヘテーホヘ テーホトーヘトヒャヒャ!」の掛け声が次々と掛けられ、はやく鬼様でろ、子鬼はまだかと、そのうち消防団が、箒を持って、舞い始めた。舞庭の熱気は最高潮である。
   やがて、親方の榊様が現れた。手には大きな鉞、日月にハートの文様が珍しい。背中に鈴を差し、動くたびに「ちりちり」と鳴る。鬼面は比較的大きく、額の辺りに、山伏が身に着ける帽子のような飾がついている。まさに「異形の神様」そのものである。三つ舞の舞い手が、松明を持って足元を照らし警護する。
  まず湯釜正面で五方見をする。そして、湯釜のくろを見開きをする。そして湯釜に戻ってきて八方見をし、鉞を振り上げたところで、もどきが「東西」と呼びかけ、問答が始まる。
  もどき「何たに汝は何者なるや・・・大神の前遊ばせ給う大前に事さもしきなりをして舞荒らす」
  榊 鬼「われらが事にてさむろう」
  もどき「中々汝が事にてさむろう」
  ここでもどきと榊鬼は歳くらべをし、八万歳の榊鬼にもどきは十二万歳といい、榊鬼は負ける。もどきは榊鬼に榊の枝を背から叩きつけ、六を引いて帰れという。
  六 引「よくも神とな。ありがたや引いても引かれぬこの榊 神の若子にかけしころも」
  もどきの榊を榊鬼は、左右でそれぞれ三回引き、合計六回引く。六引きを終えると「地神」という呪文を唱え、続いて警護の宮人が新筵を敷き、その上で反閇(へんべ)を踏む。新筵の上で、右爪先から、①あん②うん③あば④うん⑤しゃり、と踏む。一旦、外に足を踏み出し、再び新筵の上で踏む。そして鉞を持ちかえて、左足で二回同様に反閇を踏む。左右二回、五方で反閇を踏むのである。
  反閇を踏むと、湯釜の前で「山を切る」舞を行い、五方見をし、再び「山を切る」舞をし、湯釜のくろを廻り、「山を切る」の舞を舞い、鉞を高く上げくるりと回す。さいごは「天上舞」を舞い、休息する。
  休息を終えた榊鬼は、松明を叩きつけるタイワリを行う。タイワリで舞庭は煙でもうもうとし、混沌とした空間となる。やがて、「片手舞」を舞い、湯釜正面で「五方見」を行い、去って行った。
  「榊鬼」の芸態は、修験の呪法、修法と修験色の強いものである。大神楽には次第がなく、大神楽から、花祭へ再編される中で現れた。山見鬼など鬼の変遷を知るうえで興味深い。

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(山内の花「三つ舞 ヤチゴ」)

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(山内の花「三つ舞 ヤチゴ」)

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(山内の花「三つ舞 ヤチゴ」)

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(山内の花「三つ舞 ヤチゴ」)

 「三つ舞 ヤチゴ」
   三人の宮人による舞、中学生高校生のの青少年が舞った。背中に雲龍を染め抜いたゆかたびらを着て、裁着をはき、草履で舞う。左手にヤチゴ、右手に鈴を採る。じがた舞に加えて、きっさき、はんや、吊るし、かぶり、あくま等の舞が加わり、少年にとっては試練の舞となる。三人の入り舞、懸命な舞い姿は大変素晴らしかった。
 
 「湯ばやし」
  午前6時、地内のサイレンがけたたましくなった。外を見ると、朝日が花宿に差し込んできた。
  「湯ばやし」は、宮人四人による舞である。青年四人が舞った。背中に雲龍を染め抜いたゆかたびらを着て、裁着をはき、草履で舞う。両手にゆたぶさを採る。若者達はゆたぶさを「チャッチャッ」と叩き鳴らしながら、湯釜で舞い続けた。私も眠気が来て、まどろんだ刹那、「うわぁ」と言う喚声とともに湯が振り掛けられた。湯の生暖かい飛沫が次々と飛んでくる。
  「湯ばやし」は先の湯立てで立てられた湯を村人に振り掛けて、穢れを祓い、新たな生命力を得る「生命の再生」である。舞庭はとたんにぐっしょりと濡れ、舞い手の若者もびしょびしょであった。

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(山内の花「釜洗い」)

 「釜洗い」
  「釜洗い」は、宮人四人による舞である。「湯ばやし」を舞った青年四人が舞った。背中に雲龍を染め抜いたゆかたびらを着て、裁着をはき、草履で舞う。舞は前半に金山(剣)を採って舞い、後半はゆたぶさを採って舞う。
  再びゆたぶさで湯を振り掛けられた。もう舞庭も舞い手も、人々もびしょびしょである。
  「釜洗い」は湯ばやし同様に先の湯立てで立てられた湯を村人に振り掛けて、穢れを祓い、新たな生命力を得る「生命の再生」である。また先に剣で舞うことで呪力を湯に与えると言う側面がある特殊な舞である。釜洗いの次第は他地区には見られない。
  その後、「四つ鬼」、「獅子」が舞われていたが、舞われなかった。
  湯のなくなった湯釜には、ゆたぶさが投げ込まれていた。

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(山内の花 神事の前のひととき)

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(山内の花「しめおろし」)

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(山内の花「山立て」)

 「しめおろし」「山立て」
  「釜洗い」が終わると、神部屋に林花太夫、榊原花太夫、宮人が集まり、面形を前に、お茶を飲んでくつろいでいた。いよいよ、神事をもって花の執行が終了する前だからだろうか。皆ほっとした、柔らかな笑顔が印象的であった。
  神部屋で「しめおろし」が始まった。小紋染のゆはぎを着た宮人全員が、右手に鈴を持って神座後方の座敷に集まり、太鼓と笛の楽に合わせて鈴を振り、「しめおろし」のうたぐらを歌う。東・南・西・北・中央に向かってうたぐらを唱和する。「嶋まつり」になると、各方角毎で、「餅玉とおる」で、丸餅を投げる。
  次いで、榊の葉を咥えた宮人が、神部屋の四隅の榊の根元に呪文を唱えつつ、榊の葉を置く。これは「山立て」で、後の「しずめ祭り」の一部に相当する次第である。

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(山内の花「しずめ祭り」)

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(山内の花「しずめ祭り」火の王の顕現)

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(山内の花「しずめ祭り」)

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(山内の花「しずめ祭り」火の王 反閇)

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(山内の花「しずめ祭り」水の王 反閇)

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(山内の花「しずめ祭り」水の王)

 「しずめ祭り」
  神部屋左側に林花太夫、右側に榊原花太夫が坐する。左右には介添えの宮人が口に榊をくわえ、付き添う。以下、神事は衆目の中で行われる。中央に新筵がが敷かれ、装束が置かれる。両花太夫は、介添えの助けを借りながら、装束を着る。林花太夫は火の王、榊原花太夫は水の王になる。火の王は、白の水干に紫の袴、水の王は、白の水干に赤の袴で、草履を履く。頭は白布で包む。そして、介添えは中央に面箱を置き、両花太夫は、礼拝し、面箱を開ける、面には直接触れない様に白紙の上から持って、面形を付ける。介添えは面形の紐を結ぶ。そのときも終始面形は白紙で覆われている。介添えにより面形を付け終ると、覆われていた白紙から火の王、水の王が現れる。まさにしずめさまが神として、顕現する瞬間を見た。火の王は赤い花の長い面、水の王は、白い面。陰陽、火の王は男神、水の王は女神を表すという。
  笛、太鼓による表紙が始まり、火の王、水の王は立ち上がる。火の王、水の王は終始向かい合い、同じ所作で印を結び、反閇を行う。手による印が結ばれると、介添えが持っていた刀を火の王が、柄杓を水の王が、それぞれ手に採り、先をそれぞれに向ける。やがて採り物を介添えに返し、火の王、水の王は、新筵の上で反閇を行う。最後は介添えの宮人も入り、全員で呪文を唱える。
  一通りの神事が終わると、再び座につき、介添えの助けを借りて面形を外す。この時も、居つける時と同様、白紙で直接触れないようにする。装束を脱ぎ、しずめ祭りは終える。
  「しずめ様」を言われ、地元では畏敬の念を持って見守られている。しずめ祭りは、諸神に鎮まりお帰り頂く、厳粛な祭事であり、花太夫家の秘儀である。

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(山内の花 おまつりのあとで・・・)

  すべての祭事が終わり、片づけが行われて、座敷に机が並べられた。そしてご飯と漬物、味噌汁が置かれて、朝食となったが、観客にも振舞ってくださった。その時、山内地区総代が、挨拶を行われた。挨拶の途中、総代は言葉が詰まり、目から一杯の涙があふれ、嗚咽を始めた。暫くは言葉にならなかった。先人から受け継いだ花を絶やすまいと続けてきたが、もう全てが限界に達し、執行したくても出来ない悲しみは如何ばかりであっただろうか。私も目頭が熱くなった。そのことは今でも忘れられない。そして、私が「記録」すること「守り伝えること」へ強い決意を持つきっかけにもなった。
  その後、山内の花は祭事次第舞式の文書、映像での記録保存を行い、平成20年代に入り、榊鬼を外部で舞うことがあったが、近年の消息は聞かない。山内出身者の若者は「また花をやりたい」と言う言葉も聞かれると言う。一度休止したものを再開することは容易ではないだろう。しかし、その思いを叶えようとして欲しいし、伝えていって欲しいと思う。


  
※参考文献 山内花祭り保存会「山内の花祭り」
        竹内敏信「花祭」
        早川孝太郎「花祭」
※この度の写真掲載に当たり、山内花祭り保存会の許可を得て掲載いたしました。また、豊根村教育委員会稲垣様には、保存会様との折衝連絡において大変お世話になりました。この場を借りて篤く御礼申し上げます。
             
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