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御幸神社の花
Sun.15.01.2012 Posted in 愛知県
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 愛知県豊橋市西幸町で毎年1月4日に行われる、御幸神社の花に、平成24年1月4日に探訪した。
 御幸神社の花は、高度成長期に、佐久間ダムや新豊根ダム建設に伴い、豊橋の旧陸軍用地の開拓農民として移住してきた豊根村出身者が中心となり、昭和31年から始められたものである。面や衣装など祭具類は、ダム建設で水没した分地地区のものを譲り受けた。人々が故郷を偲び、花を連綿と伝承して、今年で約60年近くとなった。高度成長期の荒波の中で民俗芸能が伝承された、稀有な事例である。
 花は、一般的には「花祭」と呼ばれている神楽で、三遠南信に広く分布する「霜月神楽」である。花は、御幸神社の他に、奥三河地域で現在15地区において伝承されている。花の詳細は、早川孝太郎の著書「花祭」に詳しいのでそちらを参照されたい。

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DSC_miyuki0001 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 舞庭 竃に榊の木が立っている)

 御幸神社の境内に舞堂があり、そこに舞庭(まいど)とよばれる空間を設営する。舞庭の中央には五徳式の竃が据えられて、神座(かんざ)を背面にして竃の前を正面としている。竃には大きな榊の木が立てられている。榊の木から神道(かみみち)が伸びて、舞庭の神座側脇の天上に据えられたびゃっけに至る。びゃっけは赤青紫白黄のかいだれなど切り紙が映えて美しい。神道はさらに舞堂脇の神社本殿に伸びている。舞庭の四方には注連縄が張り巡らされ、ざぜちが装飾される。
 御幸神社の祭場配置のうち、竃に榊の木を立てることは、早川「花祭」において、「(前略)・・・、ただ古真立の場合では、竃の傍にべつに榊のやや大なる幹が一本立っていて、これが中央の意でもあった。・・・(以下略)」とあり、ダム建設で水没した古真立(曽川)地区の特徴を残していて大変貴重である。
 御幸神社の花の次第は以下のとおりである。

 〇神事 神渡り 注連下し 釜ばらひ とうごうばやし 座直り 楽の舞 しきさんば
 〇舞  地固め舞 三折(扇、ヤチ、剣) 一の舞  花の舞 三折(舞上、湯桶、盆) 山見鬼
     三つ舞 三折(扇、ヤチ、剣) 榊鬼  ひのねぎ、みこ、おきな  
 〇神事 しきばやし  湯立
 〇舞  湯ばやし  四つ舞 三折(扇、ヤチ、剣) 朝鬼  釜洗ひ  
 〇神事 朝のしめおろし
     (※所々宝の舞がある)(※順不同、現在行われていない次第もある)

 午後2時前、舞庭正面に花の関係者が集まりしめおろしが行われ、ついで楽の舞(ばちの舞)が行われた。楽の舞は、舞庭に筵が敷かれ、壮年の男性により、ゆったりと舞われた。
 ついで、地固めの舞が始まった。地固めは中学生くらいの少年が舞っていたが、躍動感あふれて舞上手であった。舞の最中、大人が舞い手をじいっと見つめている。舞い手も、大人も、入植者の二世、三世が中心である。開拓でやってきた先人の舞を、きちんと伝承するのだという強い心を感じた。
 舞が始まると、地元の方々が日本酒の一升瓶を持って、観客に「呑まんか?」とふるまって下さる。私も再三すすめられたが、前日に豊根村上黒川の花を見舞った際に、たくさんの酒を呑んで二日酔いであったため、丁寧にお断り申し上げた。また、舞庭の外では五平餅の屋台が出ていて、甘辛い味噌の匂いが舞庭にも漂ってくる。二日酔いでなければ・・・と匂いを我慢しながら、舞庭での舞を見物した。

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DSC_miyuki0029 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 「花の舞 舞上」 舞庭に置いた扇を拾いとる)

 地固めの舞が終わると、花の舞舞上げ(扇)である。幼稚園から小学校低学年くらいの子供が4人で舞う。花の舞の特徴として、採り物を舞庭正面の床に置き、舞い手はそれを拾い取って、舞を舞い始めるのである。これは、早川「花祭」において、「また大入系の古真立では、この舞にかぎり竃の前に新菰をしき、舞い道具の扇盆などをその上にならべおいて、五方式がおわった際に、舞子が舞いながらそれを拾いとるのである。」とあり、舞においても、ダム建設で水没した古真立(曽川)地区の特徴を残していて大変貴重である。
 また、舞い手のゆはぎと呼ばれる衣装に、「奉献 津島神社」とあり、おや、御幸神社ではないぞと気づいた。津島神社は、祭具類を譲り受けた分地地区の産土であり、ここにもかつての名残を感じることができた。
 難しいことはそこまでとして、大人に見守られながら、舞い手の子供たちは、一生懸命体をはねて舞っている。ものすごく微笑ましい。花の舞は、花のごとく、本当に美しい。舞庭にいる観客も、子供たちを応援するかのごとく「テーホヘテホヘ」と囃していた。
 花の舞舞上げの後、少年4人による四つ舞扇(花の舞舞上げに対応する舞と考えられる。)が舞われ、ついで一の舞である。一の舞は青年が両手に榊の枝を持ち、のびやかにゆったりと舞う。そして、突然榊を上下に激しく振りながら、舞庭五方を舞い、最後は舞庭の観客を榊ではらう。豊根村の一の舞は観客をしばいていたが、ここはやさしくはらっていた。

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DSC_miyuki0077 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 「山見鬼」)

 花の舞湯桶、盆と続いて、赤・青の鬼どもが舞庭に現れ舞い始めた。舞庭は多くの観客であふれかえり「ト-ホヘテホヘ ト-ホヘテホヘ テーホトヘトヒャヒャ」と、次々と囃し始めた。子鬼がひとしきり舞ったところで、山見鬼の登場である。恰幅の良い山見鬼様は、堂々、舞庭の五方を睨み、へんべと呼ばれる反閇を踏んで、舞庭を去る。
 三つ舞は青少年が舞う。この三つ舞、一番の見どころは、ハンヤと呼ばれる「五拍子の舞」である。この舞は太刀などの採り物を屈伸しつつかぶりこんだり、最も勇壮かつ困難な舞で、試練の舞である。「サーガリサガリだ!」「トーホヘハンヤ!」と人々が囃し励ます中、舞い手は懸命に舞い上げた。
 三つ舞のヤチが終わって、獅子が出てきた。通常の順序では、湯ばやし朝鬼が終わった後に出てくるのだが、御幸では三つ舞の後に出てきた。獅子は湯たぶさを口にくわえ、竃の周りを廻った。しかし、湯は撥ねなかった。
 御幸の花では、豊根村との交流を長年にわたって続けている。今年は下黒川の花がやってきて、三つ舞のヤチを青年たちが舞った。大きな声援と拍手が送られた。

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DSC_miyuki0102 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 「花育て」 山内から伝承された)

 下黒川の衆が下がると、花育てが始まった。花育ては、花の御串と言われる青竹を採り、祭文を唱えながら地面を突き立てて、舞庭を廻るのである。この花育て、豊根村の山内(現在は休止)から伝えられ始められたものである。御幸の花は、古真立・分地の花を軸にして、各地区の花と交流しながら伝承されているのである。花育ての時、地元の方から「あんたも参加せんか」と言われて、私も花の御串を突いて廻った。「ズシン」という音が壮観であった。
 花育てが終わって、三つ舞のヤチが壮年男子によって舞われた。御幸の花では、他村の舞のほか、他地区の舞を舞うのことになっていて、今回は上黒川の三つ舞のヤチが舞われたのだ。故郷に想いを馳せながら舞っているのだろう、そう感じられた。

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DSC_miyuki0125 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 「榊鬼」)

 三つ舞の剣が終わって、舞庭にはまた子鬼どもが現れて舞い始めた。舞庭にはまた多くの観客が詰めかけて、「ト-ホヘテホヘ ト-ホヘテホヘ テーホトヘトヒャヒャ」と、次々と囃し始めた。榊鬼のお出ましである。榊鬼は五方を睨み、正面で鉞を下からすくい上げるような所作を行い、舞庭を威風堂々巡る。やがて宮人に咎められ問答を行う。榊鬼は問答に敗れて榊を引き、へんべを行う。へんべの時には菰をおき、その上を踏む。榊鬼は手に持つ鉞で、その目を照らしていた松火を叩き落とす。舞庭は火の粉が散り、煙が立ち込めて騒然となる。混沌とした中、榊鬼は舞庭から去る。

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DSC_miyuki0139 posted by (C)dankichi0423
(御幸神社の花 「お爺お婆」 何をしているかは、説明不要(笑))

 やがて舞庭には、「すりこぎしゃもじ」が現れる。味噌を塗りたくったすりこぎやしゃもじを手に採った奴らは、舞庭の観客を追い回して、味噌をつける。味噌をつけることは子孫繁栄の意味があるのだが、そんなことは全く関係ない観客は、悲鳴を上げて逃げ惑うのである。
 「ひのねぎ おきな」が舞庭に現れた。「ひのねぎ おきな」は問答があるのだが、御幸ではなかった。
 次いで「お爺お婆」が舞庭にやってきた。お爺は太い杖を突きながら、お婆を連れて、よったりよったりと竃を廻る。やがて正面に菰が敷かれ、お爺お婆はそこで寝ころびまぐわいはじめた!子孫繁栄を意味するこの能は、かつての古真立でも見られたもので、また三遠南信のおまつりでもよく見られるのである。「おーお爺お婆始めよったぞ!」「もっとやれ!」笑う観客をよそに、お爺お婆は体位を変え、何度もまぐわい、やがて静かに舞庭を去った。
 時間は午後10時30分、舞庭では四つ舞扇が始まっていた。この後、花最大の見せ場「湯ばやし」があるのだが、私は、その日の夜行列車で帰京せねばばらなかったので、ここで舞庭を後にした。遠く暗闇の向こうには光が差し「ハオハーハオハー トッヒャッヒャッノヒャーノヒャ」という囃し声が聞こえた・・・
 おまつりの後で・・・御幸神社の花は、知らない土地で開拓の労苦の中、故郷を偲び、故郷の花を伝承し続けてきた、先人の思いが詰まっている。今開拓者世代は一人になったという。花の担い手は二世から三世の、若い世代が中心になっている。開拓者世代の思いを多く引き継いで、これからも末永く花を伝承し続けてほしい、豊橋の大地に根付いてほしいと感じた。



※この度の写真掲載に当たり、御幸神社花祭保存会(会所の方)に了解確認の上、掲載を承諾くださいました。また、御園のKawagさんには、お住まいがご近所という関係で、色々お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

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comments

心の継承

 移住した人の子孫で続いているのは、血が継がれているなあって思うのと、アツい心が伝わっているのだなあって思います。都市部において現在まで続いているのは、花祭りが人と人との繋がりで成り立っているからこそだと思います。
 もう60年位経つんですか。地域性もありますし、十分伝統のある花祭りです。この記事を読んで、これからは花祭りを行っている地区の数に入れる考えに変えます。
 山内の「花育て」がここに引き継がれていたことは知りませんでした。嬉しいことです。私も山内で参加したことありますよ。
 「花の舞」の装束が特徴的ですね。野性的な感じがします。採り物を置いてるところも特徴ですね。
 なんか、舞う位置を指図する線が体育館みたい(笑) 

ご苦労さんです

紙屋町から、このHPを知りました。祭りの探索、頑張ってください。興味深く内容を読まさせていただいています。

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