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奥三河の賦 春 振草のお茶摘み
Wed.11.07.2012 Posted in 風土
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 平成24年5月19日(土) 愛知県北設楽郡東栄町振草に赴いて、お茶摘みの様子を見学、またお茶摘みのお手伝いをさせて頂いた。

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DSC_simoawasiroharu0016 posted by (C)dankichi0423

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DSC_simoawasiroharu0019 posted by (C)dankichi0423
(愛知県北設楽郡東栄町振草 山間の谷間に集落が形成されている)
 
 東栄町は、奥三河と呼ばれる地域で山々が幾重にも重なり、振草は山間の谷間に位置する。谷間に位置する当地では、山の斜面を背にして前に石垣が積まれるか、裏の斜面を掘り下げて平地を作り屋敷地とする例が多い。日当たりがよく、水都合が便利で、家の周囲に耕地が得られることを条件に、多くが東向きから南向きに位置取りされている。
 一般の農家は母屋(居住部)と釜屋(勝手等)が一体になっており、屋根は切妻の瓦屋根(かつては木の皮葺屋根が主流だった。)、間取りは母屋にでい、茶の間、へや、だいどこ、土間が田の字型に配置されている。東栄町など含めて花が行われる当地では、かつて、母屋の土間に竈をしつらえて、一昼夜にわたって、花が行われたのである。
 村々では、山間の谷間に少ない土地を切り開き、耕地では、米、麦など、また茶、楮などの作物を生産してきた。
 茶については、どこかに自生していた茶の木を急斜面の畑周りの畦畔、石垣に移植して株数を増やし、それらを「ぼた茶」と言われてきた。茶は、古文書などから、1600年代に生産を始めている。振草では、安政四年(1857)の文書に、延宝六年(1678)から年貢小物成として年貢上納されてきたとの記録が残る。
 その後、近代に入り換金作物として茶生産が主力となり、昭和40年代には基幹作物として、農協で緑茶加工施設が建設され、現在みられるような「園茶」の畑が見受けられるようになった。現在は、茶業を生業とする農家から、自家で賄う程度の生産を行う農家まで、様々である。

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DSC_simoawasiroharu0044 posted by (C)dankichi0423
(東栄町振草 Oさんの茶畑 斜面に広がる、この地域典型的な風景)
 
 さて、今回見学させていただいたOさんの家では、五畝(約500平方メートル)の茶畑を有する。畑では、若々しい茶の新芽がみずみずしく伸びていた。かつては結(ユイ)により、親戚、隣近所、の助力を得ていたが、現在は家族で行っている。結の頃は、そこが「井戸端会議」の場になり、話題に事欠かなかったようだ。

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DSC_simoawasiroharu0057 posted by (C)dankichi0423
(Oさんご一家総出でお茶摘みを行う)

 朝、日が高くなった頃、Oさんが機械摘みで大半を刈り始め、奥様、お祖父様、息子さんは手摘みでお茶摘みを始めた。私も見学方々、結(笑)でお茶摘みのお手伝いをさせて頂いた。

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DSC_simoawasiroharu0047 posted by (C)dankichi0423
(茶の新芽 みずみずしく伸びている)

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DSC_simoawasiroharu0048 posted by (C)dankichi0423
(茶の新芽を摘む)

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DSC_simoawasiroharu0034 posted by (C)dankichi0423
(摘んだ茶の新芽 私も頑張りました(笑))

 それにしても、新芽が多く伸びているものの、摘む作業は結構大変である。初めこそは、世間話をしながら、摘んでいたのだが、そのうちに、黙々とお茶摘みを行った。ばりばりと新芽を摘み、籠に入れていく。自分の周りにはお茶の爽やかな香りが漂い、癒された。

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DSC_simoawasiroharu0065 posted by (C)dankichi0423
(摘んだ茶を蒸れさせない様に広げている)

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DSC_simoawasiroharu0071 posted by (C)dankichi0423
(製茶組合加工場の風景 次々と運ばれる)

 休憩、昼食、休憩をはさんで、引き続きお茶摘みは続き、夕方には「もういいかん」と終わった。摘んだ茶を袋に入れて、振草の製茶組合加工場へ。丁度近隣が同時にお茶摘みを始めていたため、加工場は賑わっていた。花で笛役をしている方もいらして、ご挨拶したら、「来年はうちに来んかん?」と冗談を言って笑いあった。今年の成果は77.7キロ「ラッキーセブンだのん!いこりゃいいことがあるぞん!」役立たずとも私がお手伝いしたこともあってか、例年50キロ台から大幅な成果であった。
 Oさん宅に帰り、家族でお茶を飲み、一服した。疲れはあったが、爽やかなお茶の香り、味に心癒された。



※参考文献:「東栄町誌―自然・民俗・通史編」
※この度の取材・写真掲載に際して、愛知県北設楽郡東栄町振草のOさんのご協力、ご了解を頂きました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
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