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大須八幡神社祭典奉納 雄勝法印神楽 其の一
Wed.08.08.2012 Posted in 宮城県
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(雄勝法印神楽復興支援金窓口 引き続きご支援宜しくお願い致します「岡野玲子先生画」) 

「雄勝法印神楽 明神地区祭典」雄勝法印神楽の詳細や、震災前の姿をご覧ください)
 
 平成24年5月 宮城県石巻市雄勝町の大須、桑浜、立浜の三地区で、春季祭典が執り行われ、併せて、雄勝法印神楽が奉納される運びとなった。平成23年3月11日、東日本大震災と大津波より一年、雄勝の各浜、法印神楽が、復興への歩みを一歩進めたのである。私は、5月5日(土)に執り行われる大須八幡神社祭典と法印神楽奉納を探訪した。
 前日、私は北上川を下流に向けて走っていた。震災後、雄勝を訪れるのは初めてであった。何度か訪問を迷ったが、所詮自分なんか足手まといだ・・・と卑怯にも躊躇してしまい、また二年前に訪れた雄勝の現状や皆様の安否を知ることが怖くて、今日まで足を運べなかったのだ。
 やがて、新北上大橋のある国道の交差点に差し掛かった。私は、初めに大川小学校を訪ねた。大川小学校は、3月11日、大変悲しい出来事が起きた場所である。私は祭壇で手を合わせて、亡くなられた子供たちのご冥福をお祈りした。苦しくて、涙が出た。
 そして、一旦新北上大橋を渡り、旧北上町十三浜大室浜を訪ねた。大室浜には、大室南部神楽があり、3月11日の大津波により、浜と共に甚大な被害を受けられたのだ。大室浜では、瓦礫は片づけられ、港に船が繋留され、加工場のテントが設置されていたが、家は全く残っておらず、人は誰もいなかった。私は海と浜に向かい、手を合わせた。

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(大室南部神楽支援金窓口 皆様のご支援宜しくお願い致します)

 そして、先来た道を取って返し、釜谷トンネルを越えて、いよいよ雄勝町に入った。基礎だけ残った家々、建物だけ残り窓は破壊されていた公民館や学校、そして跡形もなくなっていて、仮宮がぽつりと安置されていた新山神社、処分されず山積みになった瓦礫の山・・・二年前に見慣れた町は、様変わりしており、言葉が出なかった。新山神社の仮宮で、手を合わせ、犠牲者の方々のご冥福を祈り、一日も早い復興を祈願した。さらに先へ進み、旧雄勝総合支所に差し掛かった。支所の建物も三階まで、壊滅的な被害を受けていて、津波の凄まじさを感じた。現在旧支所には、仮設の商店街が開かれており、その日もゴールデンウィークということもあり、多くの人々で賑わっていた。今雄勝に住む人は少ない。これが、雄勝に人々が戻る第一歩になって欲しい、そう願った。先へ進み、雄勝病院に差し掛かった。こちらでも、大津波により多くの患者さん、お医者さん看護婦さん達が犠牲となったと聞いた。皆様のご冥福をお祈りし、手を合わせた。旧支所を越えると、雄勝湾沿いに道は続く。以前は、そこに堅牢で高い防波堤が続いていたのだが、あちこちで津波により流されて、土嚢で応急措置がなされていた。やがて二年前 初めて祭典奉納に訪れた明神浜に差し掛かった。「ええっ!?」奉納会場となっていた老人憩いの家、集落の住宅、雄勝石スレート工場、そしてその時お世話になった商店も全て、跡形もなくなっていた。私にとって、目に焼き付いた景色、人々の笑顔、そこにはそれらを思い出す跡すらなかった。これまで堪えていたものが堰を切った。「なんやねん!津波の馬鹿野郎!う、う・・・」一人でも多くの方が助かっていてほしい、そう願い手を合わせた。その後、法印神楽の根幹である「御神楽大事」が危うく難を逃れたものの、拝殿が半壊してしまった葉山神社を訪ね、そこから、峠を二つ越えて、大須浜に向かった。
 大須浜は、雄勝湾沿いの集落と異なり、リアス式海岸の断崖上の高台に集落が形成されている。そのこともあり、港の施設や、港沿いの建物に被害は出たものの、被害も比較的少なかったことから、地域の小中学校は避難所の拠点となっており、現在も仮設住宅があり被災者が居住している。
 私は宿に入り荷物をまとめてから、一先ず下見にと思い、宿から下ったところにある、祭典、神楽奉納の中心となる宮守さんのお家に向かった。すると、地域の祭典役員の方々や、法印神楽の関係者が集まっていらっしゃった。今日は宵宮だったらしい。調査不足だった自分を恥じ、法印神楽部員で事務局の阿部さんにご挨拶して、見学をさせて頂いた。宵宮は、宮守さんのお宅から少し上がった所にある八幡神社で行われる。宵宮に参加する一行は、めいめいに供え物を捧げ持ち、息を吹きかけない様、白紙を口にしていた。
 八幡神社では、太鼓・笛により神楽囃子が奏でられ、厳粛な中、宵宮の神事が滞りなく進められていた。拝殿外でいた私がふと集落に目をやると、もう夕闇が迫っていた。
 宵宮後、明日の撮影の許可を法印神楽事務局の阿部さんに得て、それから宮守さんにお伺いを立てに行ったところ、祭典役員の方々が集まられて、直会が始まっていた。「おうお前はどこから来たっちゃ?東京か!ほら上がれ上がれ!」と促されるままに、直会のご相伴に預かった。宮守さんご夫妻に撮影の許可を頂き(「ここなら写しやすいしいいよ!早い者勝ちだよー!」と宮守さんの奥様に場所も斡旋頂いた。)、しばし皆様とお話していたが、とにかく明るい。大須浜では三年前悪天候で中止になったこともあり、三年振りの開催、祭典役員の方々も口々に「よかった、よかった」とおっしゃられていたのが印象的だった。雄勝の現状をみて沈みがちだった私の心だったが、浜の皆様の暖かく明るい心に、心が暖まった。

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DSC_oosuogatu0001 posted by (C)dankichi0423
(祭典の朝 晴天 朝陽が眩しい)

 5月5日(土)朝、大須浜は明るい日差しがさしていた。晴天である。街中では、万国旗の飾りや鯉幟、幟旗が、朝日に照らされてたなびいていて美しい。8時過ぎから八幡神社で祭典、9時から御神輿のお通りが始まるということだったので、朝食をかき込み、宮守さん宅へ急いだ。大漁旗が朝日に照らされながら雄々しくたなびく宮守さん宅では、祭典やその後行われる神楽の準備で大わらわであった。ご挨拶をして、八幡神社へと向かった。

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DSC_oosuogatu0019 posted by (C)dankichi0423

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DSC_oosuogatu0030 posted by (C)dankichi0423
(大須浜の人々の「笑顔」「笑顔」「笑顔」で一杯 おまつりの前に)

 八幡神社では、神輿を担ぐ若者、先導をする白丁の方々、子供神輿の中学生、稚児行列の子供達、大勢の浜の方々そしてボランティアの方々で埋め尽くされていた。皆様のどのお顔を拝見しても「笑顔」「笑顔」「笑顔」・・・兎に角「笑顔」で満ち溢れている。三年ぶりに行われる祭典は、浜の人々にとっては、大変うれしく心躍るものなのだ。色々な困難に直面してこられたが、やはり浜の祭典は、人々の心の拠り所であり、絆の中心なのだと胸が熱くなり、その様子をファインダーから覗き、シャッターをきらせて頂いた。皆様、皆様今か今か、神事が終わってまだ始まらないかと、めいめいが、歓談し、待ちわびておられた。

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DSC_oosuogatu0020 posted by (C)dankichi0423
(太鼓が鳴った さあ神輿の出御だ)

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DSC_oosuogatu0034 posted by (C)dankichi0423
(浜の若者が神輿をもむ「チョーサイト!」)

 神事が無事執り行われて、神輿に鳳凰が載せられて、いよいよ、神輿渡御が始まろうとしていた。軽快な太鼓と笛が鳴り響くと、浜の若者たちは、待っていましたとばかりに神輿を担ぎ、まずは八幡神社境内を「チョーサイト!チョーサイト」と勇ましく掛け声をかけて練り歩いた。若者たちは神輿を前後左右に「もんで」練り歩く。神様は神輿がもまれればもまれるほどお喜びになると聞いたことがある。浜の人々と神様が喜びを共にしている様を体と心で感じた。

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DSC_oosuogatu0036 posted by (C)dankichi0423
(勇ましく神輿が担ぎ上げられる!)

 「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」突然雄叫びと共に、神輿の前を天にも届かんばかりに担ぎ上げて走り、さっと降ろしてくるりと回った。大きく重い神輿を自在に操る圧巻の場面である。浜の若者たちの腕の見せ所であり、若者たちの男らしい場面である。「チョーサイト!チョーサイト!・・・ウワァー!!!」境内では繰り返し繰り返しもまれ担ぎ上げられ、観衆のボルテージも上がり、若者たちに一杯の拍手と声援を送っていた。

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DSC_oosuogatu0051 posted by (C)dankichi0423
(神輿の行列に手を合わせる人・・・)

 猿田彦命や稚児行列を先頭に神輿は八幡神社から下り、集落への宮下りを行った。途中道路でも神輿はもまれ担ぎ上げられ、沿道にいた浜の観衆を魅了していた。道中印象的だったのは、人々がめいめい神輿に手を合わせられていたこと。どのような思いで手を合わせられていたのだろう・・・

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DSC_oosuogatu0073 posted by (C)dankichi0423
(子供たちも神輿を勇ましく担ぎ上げる!)

 やがて神輿は浜へ下り、そこで安置されて、そして、遅れて子供神輿もやってきた。「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」大人に負けじと子供たちも神輿をもみ担ぎ上げ、浜の観衆から惜しみない拍手と声援が送られていた。神輿が安置され、宮司による祝詞が上げられ、小休止となった。

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DSC_oosuogatu0081 posted by (C)dankichi0423
(獅子に噛んでもらい無病息災)

 すると、獅子が出てきてひとさし舞った。獅子は、雄勝では神楽とは別に独立しており、正月の春祈祷やこうした祭典で舞わされる。浜の人々は順番に無病息災を願い噛んでもらっていた。

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DSC_oosuogatu0084 posted by (C)dankichi0423
(海上渡御を前に禊を行う若者)

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DSC_oosuogatu0090 posted by (C)dankichi0423
(神輿の海上渡御)

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DSC_oosuogatu0093 posted by (C)dankichi0423
(神輿の海上渡御 震災前は、背後の島まで行っていた)

 やがて若者たちが浜べりに行き、めいめいが海水で禊を行い、若者と共に神輿は海に入った。大須祭典一番の見どころ海上渡御である。海向こうには小島があり、かつては海上渡御し、小島まで行ったそうだ。しかし、震災で地盤沈下し、小島へは行かず海上渡御のみであった。「チョーサイト!チョーサイト!」若者は海上であらん力を振り絞り、神輿を練り歩く。浜には既に浜の方始め多くの人々が集まっていたが、皆固唾をのんで見守っていた。「よかったー、これがみられて本当によかったー。」と語ってくださったおばあさまの一言が、皆の心にあっただろう。何度も海上を練り歩いた神輿は、上陸後、そのまま大須小学校へ向かい、仮設住宅でも神輿をもみ担ぎ上げ、祭典会場である宮守宅へ戻ってきた。祭典会場でも、神輿は何度も何度も「チョーサイト!チョーサイト・・・ウワァー!!!」ともみ担ぎ上げ、やがて舞台正面に安置された。いよいよ、雄勝法印神楽奉納である。(其の二に続く)



※この度の写真掲載に当たり、雄勝法印神楽保存会の許可を頂き掲載いたしました。また大須浜の宮守さま始め祭典役員の皆様、浜の多くの皆様の御縁により撮影が行えました。お一人お一人に、この場を借りて感謝いたします。
 
 
 

 
 
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