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下粟代の花  舞習い 
Wed.27.03.2013 Posted in 愛知県
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序 
  私が奥三河の花を探訪して10年余りになる。そして、中でも振草下粟代を探訪して7年になる。下粟代は、私が尊敬し師事する、民俗写真家芳賀日出男先生が長年訪ねた地であり、芳賀先生の写真をきっかけに訪ねるようになった。そして、これまで一通りの神事・芸能を撮影し、芸能は生きた信仰・生活により成り立つものだと確信し、近年は地域の風土・祭事も撮影を行っている。これから、一つ一つの神事・芸能について記録したものを、この場で取り上げてゆきたい。

  北設楽郡東栄町振草下粟代は、愛知県の北東、奥三河と呼ばれる地域に位置する、山々が幾重にも重なり、山間の谷間に位置する。。
  花は、一般的には「花祭」と呼ばれている神楽で、三遠南信に広く分布する「霜月神楽」である。花は、一年を経て穢れ衰えた人間の心身を、勧請した神々と交遊することで清めを受け、新たな生命力が得られるとされる再生のおまつりである。花は、奥三河地域に現在下粟代を含めた15地区において伝承されている。花の詳細は、早川孝太郎の著書「花祭」に詳しいのでそちらを参照されたい。

  下粟代の花は、嘗ては1月3日、4日に行われていたが、現在は1月成人の日のある週の土、日に行われている。従って、舞習いは前年末の29日、30日、そして年明け第一週の土曜日の三回行われる。
  昭和57年までは、宿花といい、各組の家に割り当てて、花宿を定めて花を行っていた。従って、舞習いも各組の家の内庭(土間)を使って行っていた。太鼓を叩いて、道具を宿へ運んだという。舞習いは深夜に及ぶため、夜食に粥と漬物がふるまわれたそうだ。その後、旧公民館で舞習いが行われるようになった。
  当時の舞習いのエピソードとして、家々で舞習いをしていた頃は、大変厳しいもので、少しでも舞を間違えるだけでも、またくさしたりしても「嫌なら辞めちまえ!」と言われていたそうだ。実際辞める子供もいたそうで、それでも代わりの子供が沢山いた時代であった。習いを待つ子供たちは、遠慮して大人しくはしていたが、足相撲などはしていたそうである。時代が下って、旧公民館で舞習いをしていた頃は、近所にある消防団の屯所の火の見櫓に登ったりして遊んで、「こら!静かにしろー!。」と怒られていたそうだ。しかし、時代が変わると共に、子供の数が減ってきて、昔のような厳しさもなくなってきたそうである。 
  
  さて、現在は花宿となる改善センターで行われる。下粟代では、現在子供はいない。従って、下粟代から出て育った子供達、いわゆる外孫や、近隣の集落の子供達を集めている、大変厳しい現状である。「厳しく教えたら、子供が来てくれんでのん。」という、保存会長さんの冗談めかした言葉に、花の存続の難しさを感じる。

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DSC_mainarai0008 posted by (C)dankichi0423
(下粟代の花 舞習い 小学校低学年の子供達の花の舞)

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(下粟代の花 舞習い 小学校高学年の子供達の三つ舞扇)

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(下粟代の花 舞習い 小学校高学年の子供達の三つ舞扇)

  夜7時から始めるため、最初は小学校低学年の子供達から始める。最初は、どう舞って良いか戸惑いがあり、中々うまくあわせられず、その都度大人が指導に入る。小さい子供たちはずっと大人に腕を掴まれて、手取り足取りの指導である。しかし2日、3日と経つと、大人の手も借りず、上手に舞上げるのである。次いで小学生高学年の三つ舞、小学生中学年の花の舞・・・と続く。習いが終った子供達には、カップ麺、お菓子や飲み物をご褒美にあげる。

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DSC_mainarai0072 posted by (C)dankichi0423
(下粟代の花 舞習い 出番を待つ子供達)

  一方子供達は、出番を待っている間、炬燵で、中高生は宿題や勉強をしたり携帯をいじったり、小学生たちはDSやPSPなどゲームで遊んでいる。何とも現代的な光景だ。

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(下粟代の花 舞習い 楽 花太夫が太鼓をうつ)

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(下粟代の花 舞習い 囃子方)

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(下粟代の花 舞習い 習いの合間に大人も・・・)

  さて、大人達は、それぞれ役割があり、指導役、楽(太鼓)、囃子方(笛)、そして台所で酒や湯茶を用意する組の女性達である。私も笛を吹きつつ、記録撮影をさせて頂いた。

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DSC_mainarai0056 posted by (C)dankichi0423
(下粟代の花 舞習い 高校生による三つ舞ヤチ 花太夫自ら指導に入る)

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DSC_mainarai0058 posted by (C)dankichi0423
(下粟代の花 舞習い 高校生による三つ舞ヤチ ハンヤ)

  最後は、高校生たちによる三つ舞、流石に大きくなってくると舞もしっかりしてくるが、大人達も厳しい指導がその都度入る。途中楽が止まって舞式について、確認する場面もみられた。皆必死に習いを行い、終わったのは、日付が変わる頃であった。二日目も、晦日にも拘らず、白熱した舞習いが行われ、日付が変わる頃まで行われた。三日目は昼から行われ、夜九時ごろには終了した。三日目には、皆自信を持って舞い上げ仕上がっていた。
  花見物に来る人達は、どうしても本番の華やかさを見に来るものである。しかしその陰で、子供や青少年、大人達の努力があることをわかって頂きたい。たゆまぬ努力により、花が行われているのである。



※この度の写真撮影、掲載に当たり、下粟代花祭保存会長金田新也様はじめ保存会の皆様、下粟代集落の皆様の、特別なご協力及び承諾を得て撮影、掲載いたしました。この場を借りて、篤く御礼申し上げます。
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comments

 私も以前、舞習いに伺ったことがります。確か元旦でした。年末年始の時に、大変ですよね。子どもに舞を教えるのは難しいことでしょう。特に「花の舞」デビューの幼子。昔はもう少し日数かけてたような。でも、3日間であれだけ舞える様になるのは、花祭りの血を継いでいるからでしょうね。それらエピソードは私も聞きました。下粟代は子どもさんには舞の掛け持ちの割り振りを極力避け、なんとか大勢の舞子を集めるように努力していると感じます。太夫さんの手本の舞、拝見してみたいなあ。本番は酔ってたので、掲載されている写真を拝見して、「こんな子舞ってたっけ?」って思うことも(苦笑)

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