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王子神社例大祭 槍祭 王子田楽奉納
Sun.11.08.2013 Posted in 東京都
2 comments 1 trackbacks
  平成25年8月4日(日)東京都北区王子に鎮座まします王子神社の例大祭 槍祭 で奉納される王子田楽を探訪した。

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DSC_ojidengaku0001 posted by (C)dankichi0423
(王子神社)

  王子神社は、創建年代は不詳だが、元亨2年(1322年)当地の領主豊島氏により、紀州熊野新宮の「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎され、王子神社となったとされている。その後は「王子権現」と呼ばれ、江戸時代には、徳川将軍家の信仰も篤く、明治時代に東京となってからも多くの庶民の信仰を集めてきた。しかし昭和20年(1945年)の東京大空襲により社殿は焼失、戦後、社殿は再建され今日に至る。
  例大祭は、元来旧暦7月13日に斎行されてきたが、今日は8月第1週の日曜日に斎行されている。例大祭の槍祭と呼ばれる由来は、「御槍」という、槍の形をした古伝の御守が授けられることに因む。
  田楽とは「田楽躍」に分類され、大陸より散楽などと共に渡来し、平安期に入って、寺社において田楽師や田楽法師により盛んに行われ、その後猿楽や能楽に発展していき、田楽は衰徴して、民俗芸能として残るに至った。田楽は、稲作において、五穀豊穣を祈り、田植えの際に田楽衆により舞われた、農耕儀礼としての芸能なのである。
  さてこの王子田楽は、元亨2年(1322年)豊島氏により紀州熊野新宮の「若一王子宮」が勧請されたときに伝えられたとされるが、詳しいことははっきりしない。文献上では江戸時代に現れ、当時は王子権現別当寺金輪寺一山の人々により舞われていた「魔除け、魔帰しの田楽」である。
  その演者と演目は、まず演者は、楽人(笛、大太鼓、)、太鼓2人、筰4人、子魔帰(小鼓)2人。演目は、一番 中門口 二番 道行腰筰 三番 行違腰筰 四番 背摺腰筰 五番 中居腰筰 六番 三拍子腰筰 七番 黙礼腰筰 八番 捻三度 九番 中立腰筰 十番 搗筰腰筰 十一番 筰流 十二番 子魔帰 である。また田楽に先立ち、田楽行列 露払い 槍合わせ 七度半 の儀礼があり、また警護の露払いの武者、四魔帰の武者がいる。
  岩手県毛越寺延年の田楽、和歌山県那智田楽等と共に中世の芸態をを残していること、七度半や中門口という中世の儀礼形式を有していることから、王子田楽は大変貴重な芸能であるとされている。
  王子田楽は、中世、はっきりと遡っても江戸時代から連綿と受け継がれてきたが、太平洋戦争の激化により昭和18年(1943年)に中断し、昭和20年(1945年)の東京大空襲により道具衣装の一切を焼失し、長く中断を余儀なくされてきたが、地元有志により昭和58年(1983年)に復活して現在に至る。今年で30周年ということだ。

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DSC_ojidengaku0003-2 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 舞台)

  地下鉄王子駅から川沿いを歩くと、右手に鬱蒼とした樹叢が見えてくる。王子神社だ。鳥居をくぐると参道が続き、拝殿に至る。その拝殿との間に田楽の舞台が設営されている。戦前までは、境内に舞殿があったが、空襲により焼失したため、現在の形式を取られている。

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DSC_ojidengaku0008 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 修祓)

  「田楽行列」午後4時30分、定刻になり、宮司、禰宜、田楽衆の行列が旧金輪寺跡から出立し、神社鳥居をくぐり参道に入った。ここで、禰宜による修祓の儀が行われ、行列は中門口の行われる参道まで入ってきた。

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DSC_ojidengaku0010 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 露払い)

  「露払い」青竹を持った露払いの武者が舞台に上がり、「うぉー」と声を上げて青竹で舞台を祓い清めた。

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DSC_ojidengaku0013 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 槍合わせ)

  「槍合わせ」年番町会の総代が田楽舞奉納の無事を祈り、舞台で三度槍を合わせる。

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DSC_ojidengaku0016 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 七度半)

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DSC_ojidengaku0026 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 四魔帰の武者)

  「七度半」田楽お迎えの使者が傘持ちの子供達に「まだまだ」と追い返される。子供達の健気さと懸命さに、観衆は「あらあ、可愛いねえ」と歓声を上げた。七度半で「いいよ」となり、四魔帰の武者に警護された楽人は舞台に、田楽衆が中門口に入る。

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DSC_ojidengaku0033 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽 中門口)

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DSC_ojidengaku0039 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽)

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DSC_ojidengaku0044 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽)

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DSC_ojidengaku0049 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽)

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DSC_ojidengaku0057 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽)

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DSC_ojidengaku0064 posted by (C)dankichi0423
(王子田楽)

  田楽は十二番あるが、慣例により六番舞われる。この日は、一番 中門口 (ここで舞台に上がる) 二番 道行腰筰 五番 中居腰筰 六番 三拍子腰筰 十一番 筰流 十二番 子魔帰 の六番が舞われた。田楽衆は皆小学生である。花笠の中に幼げな顔立ちが見えたが、しかし、整然と、しっかりと反閇を踏み、美しい田楽舞を舞っていた。境内は古の中世の趣に立ち返り、観客は酔いしれていた。六番の舞が終わると田楽衆には惜しみない拍手が送られていた。

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DSC_ojidengaku0069 posted by (C)dankichi0423
(福まき 槍の護符とお餅)

  昔は、舞が終わると、観客が争って、田楽衆の花笠を奪い合い、別名「けんか祭り」と言われたという。(岐阜県長滝の延年、宮城県小迫の延年、山形県吹浦の延年など各地の田楽舞にもは「花奪い」という風習が残っている。)現在は福まきといい、槍の護符や餅や景品などがまかれて、舞台周りは喧噪の渦となる。私も槍の護符とお餅という福を授かった。
  東京という大都市の中で、しかも中断していた田楽を復興させた皆様のご努力は並大抵のものではなかったと思う。中世の貴重な田楽を末永く後世に伝承して頂きたいと願い、境内を後にした。



※参考文献 「田楽展 王子田楽の世界」 北区飛鳥山博物館
         「王子田楽舞 式次第」 王子神社

※この度の撮影、掲載に当たり、王子神社様、王子田楽衆高木基雄様には格別のご配慮を賜りました。この場を借りまして、篤く御礼申し上げます。
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comments

王子神社田楽舞

東京都内で奉納祭が見れるのもいいですねー。
熊野古道にも「○○王子」というのがたくさんありますねー。

王子神社田楽舞

あけましておめでとうございます。
昨年をふりかえって、あらためて今年の田楽への決意をしたためています。
それにしても、dankichi0423さんの撮影の確かさに感服もうしあげます。
王子田楽の美しさををこのように無駄の無い鮮明な画像で世に知らしめていただくことは感謝にたえません。
今年もご健勝でご活躍いただけますようお祈り申し上げます。年始に

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